アドラー心理学サロンです。
今回は「差別」や「偏見」への対処方法について書いていきます。
海外は特に、欧米の国々ではアジア系である日本人も差別や偏見を持たれる対象となることが多々あります。
偏見や差別を受ける中で如何に生きていくのか、過ごすのかをアドラー心理学的な見解から記載します。
人種や民族のみならず、学歴や生い立ち等の社会的バックグラウンドに対する偏見や差別への対処も含めております。
日本にいる外国人の方(在日の方も含め)や、同和部落の方にも参考になれば大変幸甚です。
私自身も海外に滞在していた経験があり、黄色猿(イエローモンキー)と蔑まれとても不快な思いをしたことがあります。
その頃はまだ10代前半でしたので、上手く対処することもできず不快感への対処方法が見つかりませんでした。
今となっては対処方法が確立でき、なんとも感じなくなりました。
本心から軽蔑して偏見を持ったり、差別をする人ももちろんいますが、本心から偏見を持ったり、差別をしていることは案外少ないです。
洋の東西を問わず、社会的マイノリティへの差別といった攻撃は、景気が悪化した時に増加しております。
つまり、マイノリティへの攻撃は程度の差こそあれ、劣等コンプレックスが原因となっていることも多く、過去に遭った何らかの出来事(特定民族、人種との諍い等)が直接起因していることは全体としては意外に少ないと思われます。
偏見を持ったり差別を行う理由は様々なので一概にはこうであると言えませんが、中には、トラウマになるほどの出来事を経験し、偏見を持ったり差別をする方もおりますが、こういった方々とは縁がなかったと思うしかないかもしれません。
一方、劣等コンプレックスが強く、他人の粗探しをして、差別的な攻撃をする機会を常に窺う人達とはむしろ距離を取った方が良いかもしれません。
そういった方達は同胞からもあまり良く思われていないパターンもあるのです。
特に日本のような島国で同調圧力の強い同質化社会では、異質な存在に対して排他的な風潮ですので、差別というよりは自分達と異なり、自分達と同じことが理解できないはずだ!といった「区別」のような概念を持つことが多く、それを「差別」や「偏見」という形で外国人等の方へ表現することも多いと思われます。
どんな国や地域でも、偏見を持たれたり、差別をされた場合には、下記のように考えましょう。
何の根拠も無い差別や偏見を気にする必要はありません。
何の根拠も無い差別や偏見は、単なる妄想や思い込みといった類のものであり、それを盲信したり、またはそれに振り回されたりすることは空想の世界に生きて現状から逃れようとしていることに近いのです。
そもそも、ブランド信仰なども偏見の一種であり、人には特定のモノの本質を一つ一つ確認できる知識や時間などないのです。
普段買い物しているモノでさえ、品質やどう他のモノと比較して優れているのか本質的価値を理解している人が少ないのと同様です。
そもそも、差別的な行動も、実際に被害に遭っても、中にはたまたまその人が嫌いである、もしくは取り敢えず乗っかってる人もいるのです。
つまり加害者全員が本気でやっているとは言いがたい面もあるのです。
人が最も残酷になる群衆としての正義を手にした時、考えられない程残酷なことを言われたり、されたりすることもあるでしょう。
しかし、それは貴方が存在してはいけない、その国などのコミュニティに居てはいけない根拠にはなりません。
みんなが言ってる、権力者が言っているから正しいということにはなりません。
貴方は法や他者の権利を侵害しない限り自由なのですから。
私達は主観的にしか物事を捉えることはできず、私達はそれぞれの主観的な世界で生きています。
自分自身や世の中に対する考えが変わると、この世の全てのものと関わり方が変わるのです。
主観的に、「差別」や「偏見」に関連した概念をご自身の都合良く変更することで、気楽になって頂けますと望外の喜びです。