アドラー心理学サロン

アドラー心理学で悩みを解決する糸口を探ります。

人は存在自体に価値がある!

アドラー心理学サロンです。

今回は、価値のある人間とは何なのか?というテーマで、人の存在価値ついて見ていきましょう。

 

世の中のほとんどの人達は、人がどのように会社や家庭といった組織の中で貢献し、役立てるかという軸で人の価値を算出してしまいます。

 

アドラーもまた、共同体に対する貢献感を主観的に持つことで自らの価値を実感すると言います。

 

しかし、アドラー心理学では人は存在そのもの自体に価値があるという考え方があります。


前回の記事である、「相手への介入と援助の違い」にて、人は感謝の言葉を聞いた時、自分が他者に貢献できることを認識します。

 

つまり、自分が共同体にとって有益であると思えた時に、自分の価値を実感して人生のタスクである課題に立ち向かうことができます。


しかし、これだけではまるで他者や共同体にとって役に立たない無益な人間は存在そのものに意味も資格もないかのように思う方も多いことでしょう。

 

赤ちゃんや老人、障害者から病人まで、こうした人たちは生きる意味がないということなのか?とこのアドラーの考えに疑問符が立つかもしれません。


アドラー心理学の見解では、決してそのような考え方はしておりません。

 

このような見方は、他者のことを「行為」のレベルで見ている状態であり、その人が「何をしたか」にしか注目していません。

 

「行為」ではなく、「存在」レベルで他者を見ていきましょう。


その人が「何をしたか、成し遂げたのか」ではなく、その人が存在していること自体に喜んで感謝を表現するのです。

 

つまり、人々は存在していること自体が他者貢献となっており、価値があるという事実が存在するのです。


人は、他者を見る時には、自分の中の「身勝手な理想像」を作り出し、そこを基準に引き算をして勝手に評価をしていくことで他者を認識する偏向があります

 

例えば、親が子供を見る時には、「言うことに一切の口答えをしない」、「勉強もスポーツも何でも真剣に丁寧にこなす」、「良好な人間関係を学校で作り上げる」、「友達や先生からも人気者」、「良い学校に進学して安定した大企業に入社する」、「何の問題もない真面目な配偶者と結婚する」といった理想像を自分の子供に期待をし、それとズレがある場合には評価を減点していく。


こういった見方をするのではなく、ありのままの掛け替えのない我が子を他の誰かを比較することなく受容し、その存在自体に感謝する。

 

理想像からの減点評価ではなく、ゼロ地点かその子自体を認識していく。これができれば「存在」そのものに感謝の言葉をかけることができるのです。


例えば、あなたの子供が学校にも仕事にも行かず、引きこもっていたとします。

 

あなたの子供が食事の後に食器を洗おうとしたり、家事を手伝ったりした際に、そんなことはいいから学校に行け!、働け!と言うのは暴言にしかなりません。

 

これは上から目線で子供の存在を理想像から引き算し、見下している行為であり、その子の勇気はますます挫かれてしまい、課題へ立ち向かうことができなくなってしまいます。

 

そうではなく、純粋に感謝を込めて「ありがとう」と声をかけることで、その子は自分自身の存在価値を認識し、いきなり学校に行ったり、仕事に行ったりするのは困難かもしれませんが、何らかの一歩を踏み出そうとするかもしれません。


結局のところは、人の存在自体に価値があると気づくには、「横の関係」を対人関係において築くことが大切です。

 

人は「縦の関係」と「横の関係」を両立させ、この人とは対等な個人としての関係を、この人とは上下関係をと切り替えていける程、柔軟な生き物ではないのです。

 

誰か一人ともで「縦の関係」を構築してしまっていると、気づかぬうちに全ての対人関係を「縦」で捉えてしまっております。


逆に言うと、誰か一人とでも「横の関係」を構築でき、対等な個人としての関係を持つことができれば、ライフスタイル (=性格) を大転換できることになります。

 

ここで大切なのは、我々は同じではないけれど対等であるということです。

 

つまり、年長者や先輩を敬うことはもちろん大切であり、誰にでも友達のように接するべきであるということではありません。

 

敬語を話すなどの礼儀を重んじた上で、意識の上で対等であり、主張すべきことは堂々と主張することができる関係がとても大切です。


その場の空気を読んで「縦の関係」に従属することは、自分の責任を避けようとする無責任で自己中心的な行為です。

 

常に「横の関係」を持つのです。