アドラー心理学サロン

アドラー心理学で悩みを解決する糸口を探ります。

人は、特別な存在である必要はない!

アドラー心理学サロンです。

世の中の人間は、良くも悪くも他の人達とは違った存在意義を自分自身に求め、「他の誰でもない自分」を追い求める欲求を持つ方が多くいらっしゃいます。

 

この理想を追求、向上を願う「優越性の追求」といった普遍的な一種の承認欲求によって、多くの人達が苦しめられていることでしょう。

 

本記事では、こうした「優越性の追求」によって生じる劣等感といった感情から生じる苦しみへの対処方法をご紹介します。

 

人は、対人関係における相対性の中で、他人と異なる存在価値や存在の意味を求める欲求を持っています。

 

例えば、多くの子供たちは自分に対して特別性を持たせようとし、勉強やスポーツに精を出して親や学校の先生から褒めてもらい、自分を認めてもらおうとします。

 

しかし、特別な存在であることが認められなかった場合には、その劣等感から「特別に悪い存在」となり、注目を集めて承認欲求の穴を埋めようとします。

 

こうして健全な努力を行うことから逃避して問題行動に走る子供達のこうした他者の注目を集めようとする行動を、「安直な優越性の追求」アドラー心理学では呼びます。

 

授業中に大声を出したりして授業を妨害したりすることで、一時的であれ学校で注目してもらえることでしょう。

 

非行に走ったり、不登校や未成年での飲酒や喫煙もまた同様であり、あらゆる問題行動は「安直な優越性の追求」となります。

 

ここでアドラー心理学では、「安直な優越性の追求」に対処する為には、「特別に良い存在」も、「特別に悪い存在」にもなる必要がないと認識し、「普通」である自分を受け入れることを推奨しています。

 

多くの人達は、ここで登場した子供達と同じように「普通」である自分を受け入れることができない為に、「特別性」を追求します。

 

特別であることが叶わなかった時、特別に悪くあろうと極端に考え方が飛躍してしまう子供たちは多いです。

 

ここで、なぜ多くの人達は「普通」である自分を受け入れることができないのか、その理由について見ていきたいと思います。

 

先ず、多くの人はこの「普通」を、「無能」や「無意味」と同じように捉えており、劣等感を必要以上に増長させてしまっているとアドラー心理学では考えます。

 

「普通」の存在は、決して「無能」な存在でも「無意味」な存在でもないのです。

 

わざわざ「安直な優越性の追求」をする必要など毛頭ありません。

 

ましてや、この対人関係の中で良いか悪いかといった承認を求めてしまうと、良いと承認されても、悪いと承認されてもその貢献感には自由がなく、他者の人生を生きることに繋がってしまいます。

 

この「普通」である自分を受け入れることは、決して平凡な人生を送るべきといったことではありません。

 

他者との相対性の中で競争関係は無くして自分の人生の目的を追求していくことで、突き抜けた結果を出すこともあるでしょう。