アドラー心理学サロンです。
世の中のほとんどの人達は、自分はなぜ生まれてきたのか、人生の意味とは何かを考えたことがあるのではないでしょうか?
そして結局、その答えは見つからないままに日々を生きていらっしゃることかと思われます。
アドラーは、「一般的な人生の意味はない、人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」としております。
アドラー心理学では、客観的な事実の存在を否定し、全ては主観的な解釈によるものであるとしております。
つまりは、広義でも狭義でも人生の意味は、自分の都合良いように解釈するものであるということですね。
世の中は、常に事故や天災など理不尽な出来事と隣り合わせなのです。
自然災害などの災難で家を失った、親や子供を失った、怪我をして五体満足でいられなくなった人、さらには命まで落とされる方だっています。
こうして災害で突然に命を落とした人達が、人生の意味を語れるはずはありません。
つまり、人生には一般的な意味なありえないのです。
理不尽な悲劇を前に、それを嘆いて何も行動を起こさないのではその悲劇を肯定しているのと同様になってしまいます。
こうした悲劇的な災難に見舞われた時、フロイトの原因論のように「なぜこんなことになってしまったのか?」と振り返ることには何の意味も価値もありません。
どんな悲劇に見舞われても、思い切り悲しんだ後には、「これから何をしようか?」を考えていくべきなのです。
五体満足でなくなり、身体に障害を負ってしまっても、大病を患っていても、「この世は怖ろしい」と思うのか、「この世は素晴らしい」と思うのかはあなたで選択できるのです。
つまり、悲劇=不幸、幸運=幸福とは一概には言えないのです。
あなたの人生に意味を与えることができるのは、あなたしかしません。
要は、世界は、誰かが変えてくれるのではなく、あなたが変えるしかないのです。
前回の記事でも書きましたが、アドラー心理学では人生を「連続する刹那」であるとしています。
要は、この時この瞬間こそが人生であり、人生を登山に例えるならば山頂に行くまでの道のり自体も含めて人生なのだとしています。
アドラー心理学では、人生は「点」という「今」を生きることであり、何が起こるのか予測することができない未来を見通して「線」で生きることはできないとしています。
これは、米アップル社の創業者である故スティーブ・ジョブス氏もスタンフォード大学の卒業式のスピーチで語っていた内容と類似しています。
この人生という登山の「途上」で、つまり夢を叶える途中や自己実現の途中でほとんどの人達は人生を終えておりますが、これはアドラー心理学では人生を完結しているとしております。
今、この瞬間が人生なのであれば、その連続する刹那の中で人生は完結しながら進んでいるということです。
私たちの過去は、今の私たちに何らかの影響を与えてはおりますが、今の私たちの行動の原因にはなっておりません。
それに加え、1秒先の未来だって予測することはできません、極端ですが今日この後、もしくは明日死ぬかもしれないのです。
つまり過去も未来も何の関係もない、私たちは「今、ここ」で何をどのようにするのかが全てであり、人生なのです。
しかし、ありのまま、思うままに人生を生きて良いものか?と思われる方もいらっしゃることでしょう。
そこでアドラーは、人が自由な人生を生きる際の大きな指針として「導きの星」というものを掲げております。
これはつまり「他者貢献」となり、この世界の共同体への貢献を意識し、この「導きの星」を指針とすれば迷うこともなく、何をしても良いとしてします。
みんなが同じ、先人が通った道を通ってばかりだと保守的になってしまい、諸行無常の世の中に適用していることができない硬直状態になってしまいます。
一方、新しいテクノロジーや社会システム、イデオロギーが生みだせると、常に変化して適用していくことが可能です。
これはどんな時代でも場所でも同じであり、日本の江戸時代から明治維新など典型例でしょう。
多くの方が、自分自身の人生の意味付けをして、幸福になることができましたら望外の喜びです。