アドラー心理学サロンです。
今回は、人間の正しい行動と、負の行動についてアドラーの考え方とそれに対する私の解釈を書いていきます。
アドラー心理学の考え方に、下記のような言葉があります。
「人の行動の95%は正しい行動である。
しかし私たちは「当たり前だから」とそれを無視してしまう。
わずか5%しかない、負の行動に注目してはいけない。」
この言葉は様々な解釈をする事ができますが、一般的にされるであろう解釈と、もう一つ別の少しひねくれた解釈をご紹介します。
一般的にされるであろう解釈
世の中、そんなに悪い人はいない。
基本的には人は悪いことをする生き物ではなく、正しい行動を取ります。
しかし時には何らかの原因で感情的になるなどして、悪事など負の行動を取る時もあります。
それは、目立つけれどもその人の本質ではなく、全体のほんの一部なのです。
世の中には確かにどうにもならないので悪人はいます。
しかし、根っからの悪人はいないでしょう。
不遇な生い立ちや過去の影響により、人間性が歪んでしまい、その影響から抜け出せずに悪人になってしまうのです。
本来、人は人を傷付けて楽しんだりすることはなく、人は人を幸福にして自ら幸せになります。
これは、アドラー心理学の「貢献感の獲得」の話に繋がります。
と、恐らくここまでが一般的によくある解釈かと想定されます。
別の少しひねくれた解釈
善悪や正しいか間違っているのか、これは混同しやすいのですが人それぞれ異なります。
つまり、人はそれぞれの正義に基づいて生きています。
たとえば、貧しくて恵まれない生い立ちの人間は、他者を傷付け、奪ってでも愛する家族へ少しでも多く仕送りをすることが正義だと考えている方もいることでしょう。
こうした人は、例え周囲の大勢の他者を敵に回し、悪人扱いされて罵られても自分の行為を正しいと考えることでしょう。
つまり、人のほとんどの行動はその人にとって正義であり正しい行動であり、本気で悪意を持って負の行動を取ることは、基本的にはあまりありません。
要は、ある人の行動が正しい行動なのか負の行動なのか、その行動をする人と見る人で解釈が変わるという見方です。
その上で、人は自身が95%は自分が正しいと思う行動を取り、間違っていると思うような行動は自分の全ての行動の内5%程度しか取らないと解釈することもできます。
つまり、この正しい行動と負の行動の比率が、行動する人と見る人で異なる可能性も十分にありえるということを踏まえて、世の中全体として、人の行動の95%は正しく、5%は負の行動であると意図している言葉にも思えます。
こうなると、大分このアドラーの言葉の捉え方が変わってくるのではないでしょうか?
どちらの解釈も、世の中はそんなに悪い人ばかりではないという結論にはなります。
この記事にて、アドラー心理学で提唱されている「客観的な事実は存在せず、全ては主観的な解釈でしかない」という考え方を実感して頂けましたら望外の喜びです。