アドラー心理学サロンです。
今回は、他人への関心の減らし方について書いて行きます。
基本的に集団の和を保つことを重んじる、集団主義的な同調圧力の強い日本においては、他者への関心を非常に強く持ちすぎています。
日本は、外国は特に欧米諸国と比較すると、他人の考え方や行動、在り方を詮索して目立った特徴を指摘し合い、同質性を保とうとする風土病のような村社会気質がとても強いのです。
その為、自分から能動的に行動を起こしていくことが困難なところが日本社会にはあり、やりたいことができずに我慢することを強いられることも多いのが実態です。
そうした圧力がある中で、どのように考えることで自分のやりたいことができるのかその方法例を記載します。
また、他人に完全に無関心になり、利己主義で他人の権利を侵害し、困っている人を放置することを推奨することは、本記事では目的としておりません。
先ず、他人に関心を持ち、他人の行動や考え方、在り方を詮索して知ったところで、あなたに何の意味があるのでしょうか?
そもそも、人が人を完璧に理解することなんて不可能なのです。
心を開きあった関係、例えば夫婦であれど喧嘩したり離婚したりすることだってあるのです。
一緒に生活すらしていない他者のことなど理解もできなければ理解してもらえるなんて考えない方が良いのです。
尊敬している、学べるところのある他人の考え方や行動、在り方を調べて知ることなら、何か参考にするなり、反面教師にするなり何らかの用途はあると思われます。
しかし、他人のことを知り、ただ噂したり悪口を言っているだけでは、あなたにも周囲の人達にも潜在意識に悪影響を及ぼすだけで何の意味もありません。
他人への関心は、
「どんな感じの人なんだろう?」
程度で充分なのです。
他人との同調や、他人の期待に沿った人生をアドラー心理学では明確に否定しています。
他人への関心が強すぎることは、承認欲求が強く、他人と自分の課題の分離ができていない証拠となります。
他人からどう思われるのかばかり気にしていて、自分にしか関心が無いのでは、自己中心的でいて、かつ自分の人生を生きていないことになります。
そんなことをしているくらいならば、自分がやってみようかなと思えることを次から次へと実行して自分の人生を生きる方が、余程社会にとっても自分にとっても有意義ではないでしょうか?
社会は常に、環境の変化に適応するための変化が必要となります。
みんなが保守的で、同調圧力からこれまでと同じような行動を取り、同じような人生を生きてしまっては社会という共同体にとっては単なる現状維持にしかなりません。
移りゆく世界には、変化して適応が必要である為、現状維持は衰退を意味します。
つまり、ひたすら我慢をすることで自己保身という目的を達成することはできても、何一つ良いことは無いのです。
そもそも、他人に振り回されるだけで自分の人生を生きていない人は自立しているとは言えません。
そうした人が、他人に関心を持ったところで困っている他者を助けようとしたところで、寄りかかり合う依存関係にしかなりません。
いつ終わるのか、何が起こるのか、人生は分からないのです。
保守的に生きても、アグレッシブに生きても、どんな生き方であっても正しかったのかどうかは死ぬ直前まで分かるはずがないのです。
他人への関心を弱めても他人への思いやりやマナー、優しさは絶対に忘れてはいけません。
自立していて、自分が確立されている人ほど困っている他者を喜んで積極的に助けるものなのです。
その中で自分の人生を送りましょう。