アドラー心理学サロンです。
本記事では、職場における様々なトラブルの解決を解決するアドラー心理学の考え方をご紹介しつつも、人生の生き方についてもご紹介させていただきます。
目次
「隠れた目的」と「人生の目的」
たとえば、「親が望まない進路に進んだり、世間的に良しとされる仕事でないと認めてもらえないし、認めてもらえなければ不幸になる」アドラーはこのような姿勢を否定しています。
なぜなら、これは自分決めるべき人生の選択をせず、結果が望まないものになった場合に他人のせいにして自分が傷付くことや責任から逃れようとしているからです。こうした人は、自分の意思で始めた仕事が合わなかったり、職場でトラブルに見舞われても、自分は悪くないと責任転嫁するつもりなのです。
アドラーはこうした姿勢をを「人生の嘘」と厳しく批判しています。
もしあなたが「人生は複雑でつらいことばかりだ」と考えているなら、アドラーの言う「人生の嘘」に陥っている可能性が大いにありえます。
結論から言いますと、あなたは自分の人生で何をするのか、自分の責任だけで選択する必要があります。そうすれば人生のすべてはとてもシンプルになります。そうして割り切って自分が何を行うのかは自分の課題であり、他人にはそもそも介入できないし、その逆に自分も他人の人生には介入できないと考えられないあなた自身が、人生を複雑にしているです。
そうはいっても、私には過去にこうしたトラウマがあり、そんなことはできるはずがないんです。そんな反論も頻発します。要は自分の選択は過去の制約がある中で自分の取れる最善の選択であり、これしか許されないといった考え方です。
しかし、アドラーはこうした「原因論」を否定します。トラウマなんて存在しないのです。もちろん、過去の出来事による影響が自分に及んで何らかの障害になることはあります。しかし、何かの行動を過去が決定するということは決してありません。
すべての行動には目的があります。つまりアドラーの「目的論」です。何かの行動を起こす際に、過去のトラウマに原因を求めるという思考は、そのあなたの言うトラウマとなった出来事をただ避けるという目的を達成しようとしているのかもしれません。
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たとえば、突発的に怒鳴るなど、「怒り」という感情は、他人を思い通りにしたいという「支配」などの目的があって作り出されたものであり、何かの原因によるものではありません。猛烈に部下を叱りつける上司には、その行為で部下を屈服させて言いなりにしたいという目的があって怒っているのです。部下が不始末をしでかしたという原因で怒っている訳ではありません。
その証拠として、部下を叱りつけていた上司が、その上の役職の人間やお客様との電話や打ち合わせに出た瞬間、急に上機嫌な態度で対応している様子を見た経験のある方も多いことでしょう。つまり、あなたの上司はそもそも感情に支配されていた訳では無かったのです。
私の周りには、ある職場で、「私がいなくなるとみんなが困るから」という原因を作り上げて、仕事が合わない中で無理をして働いている方も沢山います。
こうした行動の多くは、「努力している自分を認めてほしい」という隠れた目的を持っているのです。しかし、こうした目的による無理が祟って身体や心をを壊して辞めるという結末になることが多いのです。
こうして無理をして働いている方は、辛抱強く我慢をされているのです。しかし、「自分の努力を認めてもらいたい」という目的があってもそれは相手が認めるのかどうかは相手の課題であり、認めてもらえるようにアピールすることはできても、その課題に介入して認めさせることはできません。
多くの人たちは、勝手に「認めてもらえるかもしれない」などと期待をして辛抱強く我慢します。そして、勝手に「こんなに頑張っているのに誰も認めてくれない」と失望します。これは非常に不健全であり、自分が消耗するだけです。こんな我慢をするくらいなら思いの丈を伝えて話し合うなり転職した方が良いのです。
怖い上司に暴言を吐かれた、でも言い返せないし我慢して努力するしかない…しかしその我慢も努力も、上司に伝わらないことも多く、上司はまた酷い暴言を吐くことでしょう。
あなたはそのような事態を自ら望んで作り出しているのです。
過度な期待を持つことも、過度に期待に答えようとすることも、良い結果を招くことのない依存的な生き方にもなりかねません。詳しくは別記事にてご覧ください。
苦手な上司への対処方法
アドラー心理学の考え方では、「怖い上司」はあなたが作り出している、ということになります。あなたとの関係においてのみ、その上司は「怖い上司」になることを余儀なくされている可能性が高いのです。だからこそ、あなたができることは、自分の対応のしかたに改善の余地がないか考えることです。
仮に昨日、上司にひどいことを言われたとします。だけどそれは昨日の、過去の終わった話です。今後もずっとそう言われるわけではなく、相手がどうであれ、あなたが必要以上に構えて深刻になる必要は無いのです。次に上司と会う時には、今度はこう言うか!と余裕を持って楽しむぐらいの心がまえで良いのです。
あなたがこうして普通に上司に接すれば、やがてこの上司もあなたに対して、「他の部下や同僚と同じように特別な自分を見せる必要のない人」と認識してもらえることでしょう。
そもそも権威を振りかざして偉そうにする上司は、劣等感が非常に強くて自信もないのです。だから、「普通に接すると、下に見られる」と考えてしまうのです。こうした人は、部下の側が普通に、礼儀を守って接してくれば変わるかもしれません。
アドラーは、すべての人間関係は横の関係であるべきだと考えます。逆に、無能な上司やその上司を怖がる人は、縦の人間関係で捉えているのです。しかし、この縦の関係を崩して、アドラーの提唱する横の関係を築くことは可能であり、それに必要なのは勇気だけです。
自分の上司は話の通じない理不尽極まりない人間なんだ!と考える方も多いことでしょう。そうした考えを持つ人のには、アドラー心理学の「課題の分離」という考え方をご紹介します。
このアドラーの「課題の分離」には多くの誤解が存在しますが、他人のことを考えずに自分の勝手気ままに振舞って良いということではありません。詳しくはこちらを参照ください。
この「課題の分離」とは、アドラー心理学の代表的な考え方となります。常に「これは誰の課題で、結果を引き受けるのは誰なのか?」という視点から、自分の課題と他人の課題を分離することを指します。
そうして他人の課題には介入せずに、自分の課題にも他人からは介入させない。そうすることで、人間関係における様々な複雑だと思われていた問題は解消します。
たとえば、何をしてもただ怒鳴っている上司がいるとします。ですが彼の理不尽な行為や態度は、あなたの課題ではありません。その上司が自分で対処すべき課題です。あなたがすべきことは、自分ができる仕事をこなすことであり、上司の顔色をうかがってなだめたりするような対応は、あなたの課題ではありません。
自分でできること、できないことを見極める。アドラーはこの見極めをを「肯定的なあきらめ」と表現します。
むしろ、上司の理不尽な命令のままに働いて、結果として大問題が発生した時に、あなたはその責任を引き受ける覚悟がありますか?あなただけでなく、多くの人たちは上司の責任であり、自分には関係無いと思うことでしょう。
そんな考えのあなたは、仕事に失敗する言い訳として、上司の存在を用意しているのです。これをアドラーの目的論に即して考えると、あなたは「ちゃんとした仕事ができない自分を認めたくない、そこで理不尽で横暴な上司を自分で作り出している」ということになります。
こうして、あなたは理不尽な上司という言い訳を用意して、自らの責任を転嫁をしようとする、「人生の嘘」にはまり込んでいるのです。
これまでのことも、これから先の結果も考えず、できることに集中してひたすらに「今」を生きましょう。
もちろん、健全にいくら努力しても上司の態度も職場も、何も変わらずにあなたがひたすらつらい思いをしてしまうこともあります。その場合には、つらいなら逃げても良いというこちらの考え方もありますので無理をしてはいけません。
あなたの人生でしてきたことの責任を他人に負わせようとしてはいけません。同じように過去の自分も他人です。「あの時、こうすると決めたから」とって過去の自分に責任転嫁して逃げる、これも同じ「人生の嘘」です。人は過去に規定されて現在を縛るものではないません。
同様に、未来で現在を縛ってもいけません。「今の自分は本当の自分ではない」と、決断を先延ばしにする人がいます。こうした人は「やれば出来るかもしれない、その可能性に生きたい」という目的を隠し持っているのです。決断できないのなら、誰かの命令を待つしかない、他人任せの人生になってしまいます。
過去も未来の結果も度外視して、ただひたすらに「今」できることに集中しましょう。過去に縛られて、「今」何をするかでなく、あなたの本来のやりたいことをする選択をして過去からの延長線に囚われてはいけません。未来は「今」あなたが何をするのかによってどうにでも変わっていくのです。
決断が必要で、思わず逃げ出しそうになるなら、自分の直感で一番良いかも!と思えることを選択しましょう。何も選択せずに行動もしないで後悔することも、他人の言いなりになって結果の責任を他人に取らせようとすることは、「人生の嘘」の始まりです。
隠された目的に向かい合い、「人生の嘘」を振り払って責任を引き受ける勇気を持つ。他人と自分の課題を明確に分離し、自分の課題に集中する。人間関係を横の関係として捉える。こうして人生はとてもシンプルなものに変えることができるとアドラーは伝えてくれているのです。