アドラー心理学サロンです。
メールにてご相談頂いた内容を事例として質問と回答のセットでご紹介致します。
個人情報に関しましては、ぼかしを入れますが、皆様のお悩みの解決の一助となれれば幸いです。
※個人情報の保護の観点から、回答文に失礼な表現が含まれますが、実際の言葉遣いとは異なります。
Q1. ご相談
はじめまして。
私は17歳の女子高校生です。
自分は医学部を目指しています。
受験のために、12年間やってきた水泳も辞めて、塾に通いだしました。
学校には馴染めなくて、先生からも自分の成績のことなどで、すごく高圧的な態度をとられて、学校という存在が嫌になっていました。
ですが、塾に行くと、友達もいて、先生も優しくて、学校で笑えない自分が塾に来るとすごく笑っていて、本当に楽しいと思っていました。
その塾にはカリスマの先生がおられて、自分も見てもらっているのですが、通いだして半年ぐらい経つうちに、その先生に認められたい、嫌われたくない、という思いが強くなっていっていることに気づきました。
先日、その先生から、「友達とすごく楽しそうに一緒にいるけど、そういう時間を無くさないと間に合わないんじゃないの?縁を切ることが重要なんじゃない?」ということを言われました。
間違っていないし、すごく正しいことで、自分は学校から逃げる手段として塾を使っているだけになってしまっているのも事実です。
ですが、その友達と縁を切ることで自分が笑えなくなるんじゃないか、自分があらゆる人から嫌われていくんじゃないのか、その先生からも嫌われているんじゃないのか、とずっと同じことを考えてしまいます。
嫌われたくないと強く願えば願うほど嫌われていってしまっている気がしてなりません。
嫌われたくないと思わないようにするにはどうしたらいいでしょうか。
A1. 回答
アドラー心理学サロンです。
自分の価値、自分の未来を他人に任せてしまうということは、あなたがあなたの人生を送れないということになります。
他の誰かが良しとした、他の多くの人たちが良いと考える理想像を追い求めて人生を生きることはあまりにも窮屈で、辛いものになりかねません。
たしかに、人生とはいつ終わるのか分かりません。それは明日かもしれないですし、来年かもしれません。
誰かに依存して、誰かの希望に沿って、それであなたが幸せならそれで良いとも考えられます。
但し、この生き方で満足のまま人生を終えるには、そのままあなたが本来の自分のやりたいことと自分のやっていることの葛藤を感じないまま人生を終えられるならばの話です。
世の中の多くの方は、この葛藤に子供から大人に成長するにつれて、精神的に成長するにつれて苦しめられます。
あなた自身が本来何をどうしたいのか?と問い、自分が納得できることをする方が幸福になれる可能性は高まります。
先生であれ、友達であれ、他人があなたをどう思うのかはその人の課題であり、あなたは介入できないのです。
良い印象を持ってもらえるように自己アピールすることくらいはできますが、相手のあなたに対する思いを変えようとすることは相手の考え方や人生を変えようとするくらい大変なことなのです。
それは、あなた自身にも言えて、あなたが誰をどう思うのかもあなたの課題であり、誰にも介入して変えさせることはできません。
これはアドラー心理学の代表的な考え方である、「他者との課題の分離」です。
学校や塾が全てではありません。
誰かから認めてもらいたい、褒めてもらいたいと思うことは、他人の課題への介入にもなりえることであり、その承認欲求によってあなたは他人が望む人生を生きようとしてしまうことになります。
みんなが求める「わたし」ではなく、なりたい「わたし」になれるようにしてはいかがでしょう?
少しでもお力になれましたら大変幸甚です。