アドラー心理学サロン

アドラー心理学で悩みを解決する糸口を探ります。

【嫌われる勇気って矛盾してない?:メールでのご相談事例】

アドラー心理学サロンです。


メールにてご相談頂いた内容を事例として質問と回答のセットでご紹介致します。


アドラー心理学を世に広く知らしめた名作「嫌われる勇気」を読んで、アドラー心理学の考え方で理解の出来なかったところについての疑問にお答えしました。


「嫌われる勇気」からアドラー心理学を知り、人生が大きく好転しました!といった方も沢山いらっしゃいますが、その逆に、アドラー心理学を間違って実践してトラブル続きで参ってしまったという方の情報をネットで散見します。


今回の「嫌われる勇気」についてのご質問は、アドラー心理学を理解する過程でよくある疑問でしたので、是非、皆様にもご参考にして頂ければ望外の喜びです。


個人情報に関しまして、ぼかしを入れております。


本事例が、皆様のお悩みの解決の一助となれれば幸いです。


Q1. ご相談

アドラー心理学サロン様


いつもツイッターの投稿を拝見しております。

元気付けられるお言葉ありがとうございます。

私はツイッター上で「■」という名前でアカウントを持っております。この度はよろしくお願いいたします。(30歳、女性、会社員、今後は自分を大好きになりたいです。)


『嫌われる勇気』を最近読んだのですが、

わかるようでわからない部分があり、アドラー心理学にお詳しいかたのご意見をぜひお聞きしたくメールさせていただきました。著者のかたではないと思いますが、見解をお聞かせいただけたら幸いです。


①健全な劣等感とは他者との比較の中で生まれるものではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものという表記がありました。健全な劣等感は成長や努力をするために必要ということは理解しましたが、「理想の自分」を設定するのが難しく感じます。

 

私はこれまで高すぎる理想を掲げて、「こんなんじゃまだまだダメだ。」と自分の首を絞めて、お尻を叩いて生きてきました。その結果心身ともに疲弊したところから、心理学の本を読んだり自分のことを知りたいと思うようになりました。

高すぎず低すぎずの理想。その加減がわからなくて、目標や理想を掲げずに日々何となく生きています。


②目的論は私の中では新しく興味深いです。

例えば「Aさんの欠点が許せないから嫌い」を

目的論にすると「Aさんを嫌いになるために決定を見つけ出す」。

 

私も思い当たる節があったので私のその先の目的を考えると、Aさんを屈服させたいとか自分が優越したい→その結果、尊敬されたい、注目されたい、愛されたい、というのが自分の中にあると思いました。

 

目的論においては、目的は変更可能ということですが、目的をどう変えていけばいいのか、ここでつまづいています。

 

(後に出てくる共同体感覚や、承認欲求を捨てることができれば自ずと解決するのかもしれませんが。)

Aさんは仲間である、と思えるようになるのを目的にしたらいいのでしょうか。


③自分のことを「行為」のレベルで考えず、「存在」のレベルで受け入れること。これもとても素晴らしい考え方だと思います。ただ具体的に、どうしたらいいのか。交換不能なものを受け入れ、変えられるものだけに注目する、をさらに具体的にしたらどうなるのかが知りたいです。

 

自分の交換不能なものについて悩みそうになったら、「それは気にしなくて大丈夫だよ~。」とか自分に話しかけるというようなことでしょうか。または変えられるものについて紙に目標を書く、とかでしょうか。(①の悩みに関連してきますが、、)

自分を存在レベルで受け入れるコツがあれば教えていただきたいです。


④貢献感と承認欲求の違い、わかるようでわかりません。貢献感は、主観的に役に立っていると感じることができたらそれでいいとのことですが、ある程度は相手が何を求めていてどう貢献したらいいか、を考えますよね。そこには多少の承認欲求も並存すると思います。

ある貢献と思われる行為をした結果、相手からの感謝の言動を求めてしまうのが承認欲求で、行為をした結果相手のリアクションに関係なく自分が満足できたらOKということでしょうか。


長くなりすみません。

本を読んでも内容について誰かと語り合うという機会がないので、この場をお借りして思っていることを表現させていただいたことに感謝いたします。


何卒よろしくお願い申し上げます。


A. 回答

アドラー心理学サロンです。


ご相談、誠にありがとうございます。

ご相談頂きました各単元毎に、下記にて回答させて頂きます。


① 劣等感の取り扱い方について、他者との競争によって自分を定義せず、「理想の自分」との競争によって健全に努力しましょうということが書いてあったかと存じます。


この嫌われる勇気で表現されている「理想の自分」という表現は、たしかに高尚で偶像のような存在を崇めるように捉えられる方も多くいらっしゃいます。


かといって、他者との競争によって自分の存在を定義しようとすると、アドラー心理学の「健全な努力」ではなく「不健全な努力」による「不健全な劣等感」の克服に繋がりかねません。


「理想の自分」を、自分ができたらいいな、こうありたいな、という少しレベルを下げた「1年後になりたい自分」に設定してみるのも良いと思います。


ただ、アドラー心理学では上下関係で判断することは自分であれ他人であれ、推奨されません。「上」か「下」かではなく、自分が「前」に進めているのか?でご自身の位置を決められるのはいかがでしょうか?


他人との競争の中でも、「理想の自分」との比較の中でも、自分が「上」か「下」を気にしてしまうと、争いのようにになってしまいます。今の自分は一歩でも「理想の自分」に近づいているのだろうか?と自分に問いてみるのです。


そうすれば、過度にプレッシャーを負う必要もなくなることでしょう。


または、「理想の自分」との比較よりも、「過去の自分」との比較も1つの方法です。

昨日の自分よりも、「前」に進めているのかどうか。という観点でも他者との競争による不健全な劣等感の克服を避けることができます。


アドラーは劣等感を持つことは、目標がある限りはどんなに優秀な人でも仕方ないことであるとしており、この劣等感をどう取り扱うのかはアドラー心理学を実践する上で非常に重要なキーとなります。


劣等感を健全に克服してきたからこそ、人類が進歩してこられたというアドラーの言葉も、劣等感をごまかしたり、安易に人の悪口や陰口を言って見下しては自分には価値があるんだ!と思い込んでしまうのか、健全に成長する為に努力していくのかで人生は大きく別れますので、あながち大袈裟な言葉でもありません。


② 目的論の心理学と言われるほど、アドラー心理学はこの人間の目的に着目した特徴を持っています。


この目的論は非常に斬新で、原因論を説く世に広く普及したフロイト心理学など他の心理学とは大きく異なるアドラー心理学の代表的な考え方です。


人間の行動には、何らかの目的が必ずありますが、目的を何に変えるのかはあなたがどうしたいのか次第で変えるという考え方が良いかもしれません。


たとえば、Aさんが嫌いだとして、その目的があなたの言及された超越したいなのであれば、他の追随を許さない程の卓越した結果を出すなどに目的をすげ替えてしまえば、Aさんを必要は無いと思われます。


たしかにアドラー心理学の他の考え方である課題の分離や承認欲求の否定などを取り入れないと設定しきれない目的や、他人との競争意識が強いと誰かを敵と見做さないといけなくなるので、総合的にアドラー心理学を理解していく必要はあります。


③ 自分や他人のことを、「行為」などの「生産性」で存在を認識するのではなく、その「存在」自体に価値があると思うということです。何らかの実績やスキル、経験で自分や他人の存在を評価して認識してしまうことの問題は、例えるならアドラー心理学の書籍で頻繁に議題として挙げられる「親子関係」が分かりやすいでしょう。


親は自分の子供が誕生した際には、その無力で何の役にも立たない我が子を誰よりも愛しみます。成長するにつれて、学校での成績、運動や勉強の成績などの能力の指標が登場し、それが我が子を見る尺度の1つとなります。


この学校での成績などの「行為」のレベルだけで、自分の子供を評価するのは、例えるなら他の子供は優秀なのに何でお前はもっといい成績が取れないんだ!であったり、友達の親はお金持ちなのに何で自分の親は貧乏なんだ!と、自分や他人の「存在」の対する優劣を意識するようにもなってしまいます。


親は親として、子供は子供として、友達は友達として、自分は自分として、その「存在」レベルで受け止めてあげましょう。


自分自身も含めて、他人であれ、その存在自体は他の誰とも変えられないかけがえのない存在なのです。


それは、前述した他人と比べて「上」か「下」かという見方ではなく、少しでも前進できているのか?という観点で自分を見ることで受け止められるようになれると思われます。


アドラーの他者貢献には、承認欲求があるのではないかという疑問を持たれる方はとても多くいらっしゃいます。


たとえ話ではありますが、日本では自分がされて嫌なことは、他人にするべきではないという考え方があります。


この話は逆の考え方をすれば、自分がされて嬉しいことは他人にしてあげるべきだという、相手が嫌がっていても自分は良かれと思っているのだから喜んで欲しいということになりかねません。


これでは自己満足で貢献をすることは意味の無いどころか、独りよがりでありがた迷惑な存在になってしまいます。


かといって、他人が求めるままに振る舞えば、アドラーの批判している承認欲求の否定と矛盾してしまいます。


ここで区別が必要なのは、アドラー心理学の貢献感を得るということは、「他人を喜ばせること」に焦点が当たっており、承認欲求を満たすということは「あなたが求めることをした自分を認めて欲しい、自分は価値があると人間だと思いたい」ということに焦点が当たっております。


行為をした結果、相手からのリアクションとして相手から感謝してもらいたいと思うこと、行為の結果に関わらず自分が満足できたら良しとする考え方でお間違いはありませんが、多少のニュアンスの違いがありそうですね。