ポジティブ心理学サロン(アドラー心理学サロン)

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【脱!同調圧力❗️】日本人は他人への関心が強すぎる‼️

アドラー心理学サロンです。


今回は、日本人の大きな特徴である他人への関心の強さから来る詮索癖と、そこから見えてくる他人の詮索の無意味さを解説したいと思います。


そもそも、何で日本人は他人への関心が強くて詮索ばかりしては噂話ばかり垂れ流し流すのか?


長らく封建制度の元に、国民の大部分が農民であり、狭い農地の中でそのコミュニティ独特のしきたりに従い、強い同調圧力の中で結束して同じことをして生きてきたことが大きな要因です。


とにかく和を乱すことを嫌い、みんなで力を合わせてまとまることに重きを置いてきたことから、やたらと似た者同士での結束力、一体感を求める性質があり、それは現代にも非常に色濃く残っております。


自分が主体となり生きていく個人主義的な風潮のある西洋文化との対比で、日本文化は集団主義的であるとも言われます。


ただ、忘れてはならないのが、その国が、その地域がという大きな括りでそこにいる人たちを決め付けてしまわないことです。


西洋文化圏であるヨーロッパやアメリカにも、個人主義の中においても集団主義的な考え方をする人達もいますし、日本にも集団主義的な中で個人主義的な考え方をする人もいます。


特に日本の集団主義的な傾向は強く、山や川が多い地形であり、一つ一つの村が独自の風習を持っていたことが原因と考えられます。


アジアは全体的に集団主義ですが、日本は集団主義というよりは少し極端な村社会気質なのでしょうね。


主に、日本人の集団主義の特徴としては、下記のようなものがあります。


・みんなに合わせないといけないという強迫観念のような同調圧力

 

・みんなから認められることが大切であり、自分の所属しているコミュニティのみんなとは良好な関係を持つべき

 

・自分たちと違ってことをしたり、考えたりする人、つまり個性を認めずに仲間内で結束して異端者を排除しようとする


こうした特徴から、他人の動向を伺っては自分がどう思われるのかを異常に気にしてしまい、他人のことを詮索してはみんなでその人をどう扱うのかを決める性質があります。


東京などの都市部に行くと、やはり地方(田舎)から来た人が多く非常にお互いに警戒しあっております。


常に集団で群れる気質があり、身内主義的な気質が強く、相手がどんな人間なのか、自分たちに相応しい人柄なのかを探りながら近づき、身内認定ができた瞬間にベタベタとした濃厚な関係性を求め始めるあたりがこの村社会気質を物語っています。


要は、その人はその人、自分は自分という区別がしにくい環境であり、アドラー心理学の課題の分離をして、他人が自分をどう思うのかは他人の課題で、その他人の目に対してどう反応するのかは自分の課題をであると区別することが困難なのです。


人の目を過度に気にしてしまうこと、また村八分にならないように自分の振る舞いをまわりに合わせて反感をできるだけ買わないようにしてしまうところもあり、人から認められたいと願う承認欲求を強く持ち過ぎて自分のやりたいことができないまま、他人の人生を生きてしまうことになってしまいがちです。


アドラー心理学では、承認欲求を強く持ち過ぎれば、自分の本来望む人生を生きられないことから自分で自分の気持ちを満たすことができず、幸福にはなれないとしています。


なので、日本社会においてアドラー心理学を実践する場合には、常にこれはマナーの一環なのだと自分に言い聞かせて他人に合わせることを適度にしていかないと住み辛くなってしまうこともあります。


ある程度は反感を食らってしまっても仕方ないと自分の中で割り切りを持つことも大切になります。


こうした気質は何も日本独特のものではなく、海外でも見られます。ただ、日本でこの気質の傾向が際立って高いだけなので、安易に海外ならこうしたことに悩まされることは一切無くなると思うのは早計です。


他人からの関心、他人はの関心の考え方を整理しておくと、この同調圧力の強い日本社会での生き方を見出せるヒントになるかもしれません。


関心については、こうした考え方は如何でしょう?


関心を持つことは大切ですし、アドラー心理学でも他人への関心が無いと幸せにはなれないとしています。


ただ、他人への優しさは大切ですが、他人が「何をしているのか」、「何を考えているのか」なんて知っても、あなたに何にもなりません。


そうした他人を詮索しては、その人がどんな人なのかを知ったり、どのように扱うのかを決めることには意味がありません。


また、他人と足並みを揃えることが必要なのは、共通の目標に向かう場合等に限られております。


むやみに他人と共感しては同調して、同じ方向に結束することは、アドラー心理学で言う他人の人生を生きてしまうことに繋がってしまいます。


このように他人への関心に対する考え方を、優しさと警戒に区別することで、自分らしくこの日本社会で生きていく術を見出せるかもしれません。