アドラー心理学サロンです。
私はこれまで、心理学者アドラーはあなたが見ている世界はあなたの主観が作り出したものであって、他人とは共有できないものであると提唱していると発信してきました。
このアドラーの考え方は、あなたに限らず人間はそれぞれが別々の世界を見ており、それぞれの主観で全てを認識しているということです。
また、アドラーは客観的な事実の存在を否定しており、客観的な捉え方や考え方なんてもの自体、その人の主観の範囲での客観性でありそれは必ずしも他人とは共有できないということです。
こちらについて、あまり腑に落ちない方も多いようなのでできるだけ具体的なお話を交えてどれだけ人間が見ている世界が限定的であり、独特なものなのかについて解説させて頂きます。
まず、人間の一生である人生は非常に短いのです。
短い人生のなかで、人間はごく僅かな経験をして裕福だの貧しいだの、充実しているだの空しいだのと狭い見聞で物事を解釈しています。
しかし、結局のところ人は自分の知ることしか知りません。
あなたの目が遥か遠くをどこまでも見ることができないように、生身の身体を持つ人間が経験できる範囲も量も、この世界の広さと比べてみればチンケなくらいに限られています。
あなたの耳だってこの世界の全ての音を聞くことはできず、あなたの足だってこの世界の全ての土地を歩くことはできず、あなたの手も全てのものに触れることはできません。
それなのに、物事の善悪や物事の長所と短所を勝手に判断しているのです。要は、人間は自分に限界があるのにも関わらず、自分達が間違っている可能性を疑えないのです。
他人と一緒に何か共通の目標を達成する為には、ビジョンをお互いに共有する必要がありますが、それは同じ世界を見ているわけではなく一部が重なっているだけ、もしくは合わせているだけということなのです。
自分の意思で自分のやることを決めていくこと、つまり意思を持って生きていくことは自分の人生を生きる為にはとても大切なことです。
その為に必要となる、他人から認めてもらおうとする承認欲求を軽減するべきとしたアドラーの「承認欲求の否定」の考え方。
それから、他人がどう思うのかは他人の課題であり、自分がどう思うのかは自分の課題なのでお互いに介入すべきではないとするアドラーの課題の分離を実行する上でも、人間は主観的な世界にそれぞれ住んでおり、同じ世界を共有し合えないという考え方を認識しているととても役立ちます。
つまり、他人の意見や考え方を盲信することは危険であることをご認識して頂けますと、勇気を持って他人と自分の課題を明確に分離することができ、あなたらしくあなた自身の人生が生きやすくなれます。
とても抽象的な話となってしまいましたが、アドラーの考え方を理解する土台に本記事がなれましたら望外の喜びです。