アドラー心理学サロンです。
メールにてご相談頂いた内容を事例として質問と回答のセットでご掲載致します。
今回のお悩みは職場で有給を使って休みをもらったが、罪悪感が強くどのようにアドラーの課題の分離をするべきなのか、罪悪感の目的とは何なのかを知りたいとのご相談です。
アドラーの観点から、罪悪感の目的と課題の分離の際にどう自分に言い聞かせて自分と他人を区別するべきなのかご提案させて頂きました。
個人情報に関しましては、一部ぼかしを入れます。
あなたの悩みの解決に、本記事が役立ちましたら幸甚です。
Q1. ご相談
・年齢 40代前半
・性別 男性
・職業 金融
・自分が何をやれば良いのか、今立っている場所、仕事や目的としているものは何かを明確にした上で、実際に行動していきたい。
・ご相談内容
質問です。Twitterの方でのつぶやきに日々気づかされることや勇気づけられることが多く、筆を執らせて頂きました。
是非、ご意見窺えたら嬉しいです。
今日、私は『人から嫌われてもいい。それをどう思うのかは相手の課題だから』と考え、自分が今大切なことを考える時間を持つために急遽休み(有給)をもらいました。
ただ、罪悪感が凄いです。自分のために時間を使う。それはいいのです。他人の評価は結局のところ、他人の責任であり、その課題は分離すべきだと思います。
偉そうですが、何より、人がどう『思うか』は、その人の権利であり、その人を尊重することなのではないかと思えてきました。
対照的に『どう思われるか』と悩むのは、その底に『どうやったら相手の自分へのマイナス感情を変えられるのか』という考えがあるのではないかと気づきました。
ただ、自分が大切だと思うことを実行する上で、人の期待を裏切ることは当然あります。今日はとても心苦しくて、辛い気持ちになりました。
人の期待に応えるのではなくて、自分が考える道を進む。
でも、他人の期待を裏切ったとき、その人に感じる『罪悪感』の目的は、何だと考えていらっしゃいますか?
この罪悪感は何の目的に使用されるために表れているのか、それが知りたいです。後ろめたさ、というのはいまいちその目的がわかりません。すっきりと心を整理できれば良いと思っています。
ご意見を窺えましたら、とても嬉しいです
・今後どうなりたいか
考えるだけではなく、行動して、一つ一つ体験し、学んでいこうと思います。どんな結果になるにすれ、考えて、自分で決めて、行動していきたいです。
それでは、よろしくお願いいたします。
A. 回答
アドラー心理学サロンです。
たしかに自分らしく生きようとして、他人の期待を裏切ってしまうことによる罪悪感に苦しむ方は少なくありません。
罪悪感の目的は、「自分を認めて欲しい」ではありませんか?
もちろん、一概には言えませんが、お話を伺っていると自分と向かい合う時間が自分には必要で、申し訳なく思っているからどうか自分の行いを「認めて欲しい」ということなのではないかと思われます。
もしくは罪悪感を感じて自分の中で自分を「正当化」する目的があるのかもしれません。
アドラーは他人への貢献を進めており、それは自己満足で構わないとしています。あなたが辛ければ、あなたにできる範囲での配慮をするべきであるということになります。
自分らしく生きようとして、無闇に他人にどれだけ迷惑をかけてもいいと考えるのは良い傾向ではありませんが、割り切ってしまった方がいいと思われます。
他人からどう思われるのか、それはある程度は社会的な対面として気にしないといけない部分ではあります。
しかし、他人からどう思われるのか?という視点を他人から見てどうなんだろう?という自分軸の視点から見ることが必要です。
つまり、「人の目」ではなくて「見た目」を気にするという言い方になります。
他人からの評価を気にかけて、他人からどう思われるのかを気にしては自分の思い通りに相手が捉えてくれないと恨んだり、拗ねたりしてしまうのは幼稚と言えますし「依存」です。
他人のことを尊重するしないに関わらず、他人が何を思うのか、何をするのかはその相手の課題であって自分の課題ではないのです。
他人の課題には介入せず、自分の課題にも介入させてはいけません。
他人はあなたの課題の責任を取れませんし、あなたも他人の課題の責任は取れません。
それこそがアドラーの提唱している課題の分離です。
仕事となると、与えられた役割を果たす課題も自分の課題となりますので、日本社会では分離が難しいとは思いますが、自分の中でできる最低限の配慮をその職場での暗黙の了解を含めて守れば問題ありません。