アドラー心理学サロンです。
意見が食い違ったとしても、その人のことまで嫌いになる必要はありません。
集団の和を保とうとする日本人は特に、意見の違いとその人のことが好きか嫌いかをごっちゃにしてしまいがちです。
アドラーは、自分と異なる意見を述べる人について、下記のような言葉を残しております。
「自分と違う意見を述べる人は、あなたを批判したいのではない。
違いは当然であり、だからこそ意味があるのだ。」
同じ考え方を持つ人間なんて、そもそも珍しいのです。日本は同調圧力が強く、みんなと足並みを揃えるべきであるとした考え方が根強いです。
しかし、意見の違いをその人に対する好き嫌いと結び付けないようにしましょう。
たしかに組織の中などでは、集団行動の統率が必要となりますのである程度は人に合わせて協調性を持つ必要があります。
しかし、個人間でのお付き合いや、プライベートでの関係においてはそんなことをしても無意味です。
むしろ、親しい友達と言い争う経験は、お互いの本音を垣間見ることができる良い機会にもなりえます。
本来の自分ではない「認めてもらえるわたし」を演じてできただけの友達よりも「本当のわたし」で仲良くできる方がより深く関係を築くことができます。
嫌われても、それは本質的にはその人と合わなかっただけのことです。いずれは切れる関係だったかもしれませんし、「早めに関係が終わって良かった!」くらいに捉えてもいいのです。
アドラーの課題の分離で考えれば、他人が自分を嫌うのか嫌わないのかは、その相手の課題なので他人の課題には介入しないように、自分がどうするのかという課題にも他人を介入させない姿勢を持ちましょう。
それに、似た考え方の人間と結束しているだけでは薄っぺらくて、うわべの人間関係の維持しかできません。
「あなた」という、他には変えられない人間を認めようとしない人達と、無理して仲良くしなくていいのです。
付き合うべきではない人間が、この世の中には存在します。もちろん、分かり合うことは大切ですが、相手にその気が無ければ仲良くすることも、分かり合うこともできないのです。
アドラーの目的論で考えれば、あなたを傷付ける目的を持って接してくる人だっているのです。
そうした人とはもちろん関わらないようにするべきですし、距離を離すようにするのもあなたの課題です。
あなたがあなたを守れなくて、誰があなたを守れるのですか?
付き合う人間は、選びましょう。