アドラー心理学サロンです。
あなたも、人から批判されて悔しさや悲しさを感じた経験があるのではないでしょうか?
他人が自分をどう思うのかは、他人の課題であって自分の課題ではないとする、アドラーの課題の分離の考え方を繰り返しアドラー心理学サロンでは発信してきましたが、やはり全く気にしないようにすることは難しいと感じられている方も少なくないようです。
人には、社会的な体裁を保たなければならない一面もありますので、一切他人からどう思われるのか、どう見られているのかを気にしないというのは確かに厳しいところではあります。
ただ、他人からどう思われるのかよりも、自分がどうありたいのかの方が圧倒的に大切です。
そもそも、他人の意見なんて何のアテにもならない思い付きに過ぎないのです。
よく巷の自己啓発書には、「他人はあなたが思うよりもあなたには興味なんて持っていない」という考え方が紹介されております。
こちらの考え方は、半分合っていて、半分間違っていると思います。
なぜなら、そもそも人は人に興味なんて持っていないからです。
自分のことに集中しないで他人の話ばかりしている人達は、他人との相対性の中で自分を認識しようとしているだけなので、真剣にあなたのことを考えている訳ではないのです。
アドラーは、他人の陰口や悪口を言って他人を批判したり、見下したりする心理の背景には劣等感の穴埋めという目的があるとしています。
陰口や悪口を言われたからといっても、本当に相手があなたを見下しているのかというと、それは違います。
その人達は、自分達の劣等感を克服する勇気が持てず、他人のあら探しをして自分を慰めるしか自分の価値を認識できていないだけなのです。
つまり、あなたを批判する人達はあなたに興味を持ち、あなたを見下しているのではなくて、自分を守る為にあなたを批判しているのです。
また、噂話をする人達も同様で、良いこと悪いこと、あることないことを噂話として撒き散らす人達は、自分に自信が無くてあなたを題材にして他人に「自分は面白いんだよ!」、「自分はこんな凄い人と繋がっているんだよ!」と自分への注目を集めて自分の自我を保とうとしているのです。
他人があなたをどう思おうが、どう噂していようが、気にしてあなたが自分を行動を周りに合わせることは、あなたが無意味に他人に認めてもらおうとしているだけになります。
アドラーは強く承認欲求を持つと、本来の自分のやりたいこともできない、他人の人生を生きることになってしまうとして警鐘を鳴らしておりました。
マナーやルールを守る為に周りに合わせることはあっても、自分見失わないようにしましょう。
「問題は自分がどう思うのか?」、「自分がどうしたいのか」です。
人はそれぞれの価値観と、それぞれの狭い認識の中で生きています。
正解も不正解もこの世に無く、正解があるとすれば自分の基準です。
あなたを取り巻く環境も条件も、これまでの経験も含めてすべてが他人とは別物なのです。
正解も不正解も自分で決めることです。
正解を求め始めたら、それは他人に支配されてしまうことになります。
正解はあなたにしか見つけられません。
あなたには、あなたの正解と不正解の基準があります。
他人の基準ではなく、自分の基準で生きましょう。