アドラー心理学サロンです。
メールにてご相談頂いた内容を、お悩み事例として質問と回答のセットでご紹介致します。
個人情報に関しましては、一部にぼかしを入れて細心の注意を払っています。
今回のご相談は、自分よりも優れた絵わや描くようになった友達に嫉妬してしまい、友情が壊れてしまったとのお悩みです。
アドラー心理学の観点から、嫉妬という感情との向かい合い方と、好きなことをして生きる考え方をご紹介させて頂きました。
あなたの悩みの解決にも、本記事が少しでも役立てましたら幸甚です。
Q1. ご相談
何か悩み事があるとアドラー心理学を元に対処してきたのですが、どうしても自分の中で解決できない悩みがあり今回ご相談させて頂きます。
20代の女子大生です。
嫉妬とそれに伴う人間関係に対して悩んでおります。
私は現在大学にて絵を学ぶかたわら、Twitterの方に自分の作品を掲載しており創作活動を5年ほど前から続けております。
2年ほど前に同じく創作活動を行なっていたTwitterのフォロワーのAさんと縁あって仲良くなり、創作活動に対する思いやお互いの価値観などが一致していたこともあり、私のペアといったらAさんという程の一番の親友になりました。
問題はここからなのですが、当初は私の方が活動歴も長いのもありTwitterでのフォロワー数や作品に対する評価は高く、Aさんはまだまだこれからだと感じておりました。
しかし、Aさんの上達のスピードは早く、気が付けば今では私よりも彼女の方が絵の評価が高く人気になっていました。
作品のジャンルや描いていたテーマが同じだったこともあり、私は嫉妬の感情をAさんに抱くようになりました。
「私のほうが昔から活動してきたのに、私は今まで頑張っていなかったのだろうか」「私のほうが絵の描き込み量が多いのに相手のほうが評価は高い、くやしい」「なんで私は有名になれなかったんだろう、なんであいつが」と、相手と自分の実力や評価を比べてその差から自己嫌悪や自己否定に陥ったり、相手に対して嫉妬の感情を向けるようになりました。
このままでは私の心が持たないと思い、Twitterで彼女の作品やツイートを出来る限り見ないようにしました。
また、課題の分離を考えたり、他人とではなく過去の自分との比較をするようにしたりとアドラー心理学の力を借りましたが、どうしても私は嫉妬の呪縛から逃れることができません。
今までは彼女の絵に対して「好き」と素直に言えることができる好意的な反応だったのに対して、現在では彼女の絵を見ても「この絵もどうせ私より伸びるんだろうな」「早く消えてくれればいいのに」「私には才能がなかった、絵が下手だった」とマイナスな目で見ることしかできません。
昔の純粋な心で、相手のことを見ることが今ではもはやできなくなっています。
Aさんに対して嫉妬の感情を覚えてしばらくは彼女のTwitterを見なかったのですが、それまではほぼ毎日互いの絵に対してリアクションをしていたこともあり私からの反応がパタリとなくなったことを相手は気にしておりました。
隠し通すのも無理かと思い、一度「あなたに嫉妬をしていて絵をまともに見られない」旨を伝えました。それに対して相手は嫉妬されていることは気にならないとのでした。
しかしAさんは私に「自分との交流はしないのに、ほかのフォロワーさんと親しげに遊ぶのはむかつくのでやめてほしい」「今まで仲良くしていたのに急に手のひらを返すのは否どうなのか」と伝えられました。
一応は胸の内を相手に伝えられて、これで嫉妬の感情も和らいでまた昔のように接することができるかと思ったのですが、やはり私は無理でした。
彼女の絵や発言を見ると負の感情が湧き上がるため、私としては彼女との交流をキッパリ断ち、相手について思い悩むのをやめて自分のことに集中したいと考えています。
しかし、一番の親友と言えるほど仲良くなった相手との縁を自分の嫉妬のせいで断ち切ってしまうのも悲しいですし、どうにか昔のようには戻れないのかという未練もありなかなか踏ん切りがつきません。
また相手のことを考えると、相手は何も悪くないのに私のせいで裏切ってしまう申し訳なさと、思いを打ち明けたとき相手から言われた2つの言葉が頭をよぎります。
私はこの問題に対してどのように考え対処すれば良いのか、回答やヒントなどを教えていただけたら幸いです。
A1. 回答
成功し始めてきた人に抜かされたり、その高いポテンシャルに嫉妬し始める人はとても多いです。
少々失礼な物言いになり恐れ入りますが、アドバイスをさせて頂きます。
むしろ、あなたはこれまで嫉妬しないで自分のことに集中している自分に酔っていたのではありませんか?
本心では嫉妬していながらも、嫉妬をしないでいる自分は周りから見ても立派な存在なのだと満足していた可能性があるのかと思いまして。
あなたは他人を打ち負かしたり、競争に勝つ為に絵を始めたのではなく、自分が楽しいから始めたのではありませんか?
それなら、競争意識を持って自分の絵を他人よりも優れたものにしようとするのではなく、自分の納得のできる絵を描くことに専念するべきだと思います。
他人と時にはコンテストなどの機会に競い合うこともあると思いますが、「より自分のイメージする絵を描けるようになりたい」、「良い作品で多くの人達に感動を与えたい」という目的があるのであれば、他人の成功は嫉妬の対象ではなく「学びの機会」になるのではありませんか?
当初の目的と今の目的がすり替わってしまい、好きな絵を描く趣味が承認欲求を満たす道具になって、自分のやりたいことではなく他人の求めることをやってしまっている状態になって、より多くの承認を得ている人に憎しみを覚えているのではないかと思われます。
自分の好きな絵を、自分の目的に沿って描くようにしていれば、自然と嫉妬心ではなく学び取ろうという意識が湧いてくるのではないかと考えられます。
心理学者アドラーは、承認欲求を満たすことを目的にしてしまうと、他人の都合で生きる他人の人生を送ることになり、自分の人生が生きられなくなってしまうと警鐘を鳴らしております。
今一度、なぜ自分が絵を描き始めたのかを再考してみましょう。
もちろん、ある程度は評価してもらいたいと思いますし、他人の反応は一つのバロメーターではありますが、高く評価されたいだけで絵を描いているのなら別の道に進んだ方が幸せになれます。