アドラー心理学サロンです。
今回は非常にディープな看護の世界での裏事情を暴露して頂きました。
多くの人達に看護の世界について知って頂き、この記事の内容に共感される方、意見のある方はまたご連絡頂けますと幸甚です。
私の影響力を使えば、話題になって看護の世界を変えるきっかけになれるかもしれません。
adlersalon@gmail.com
あなたの世の中、社会へ訴えたい思いを、私に文章でメールして下さい!
私の影響力、拡散力と、皆さんの意見で世の中を変えましょう!
800文字〜2000文字だとありがたいです!
【暴露話】
私は、看護大学の教育構造が変わって欲しい。すぐに変わらなくとも、多くの人に知って欲しい。看護大学や専門学校は、ドラマのようにあんなにさっぱりしていない。
看護教育こそ、心理学の面から、科学的に学生へ教えるべきだと強く伝えたい。教育の仕方、組織を束ねるマネジメントは、看護だって教育する側に必要だ。
私は、看護大学生の時、鬱病になった。大学の規則に従い、数十人の医師や看護師の教授たちと、2時間以上一対一での面談がテストや授業について16回以上、どんなに症状が悪化していても強制だった。
言われたことは「いつこの世から消えてくれるの?」「あなたは異常、わかる?」「鬱病ってのはない、病院は金儲けの為に鬱病と診断するんだよ」「誰でもハイやロウはある」まだまだいっぱい症状悪化の中、言われ続け、全く起き上がれず、半年泣きながら通い死ぬ気で授業を受けました。
何よりも、関わった全ての教授が医療者で教える立場から、言ったことが悲しかった。私は、今は全く違う職種で働いている。
大変なこともあるが、接客の仕事で働き、鬱に至った以前の生活を見直し、常に心理学を学ぶ生活は楽しく、鬱は寛解している。
向き不向きを除き、職場のフォローや教育で成長する速度や幸福度がこんなにも違うと今、やっとわかった。
我慢と苦労は必要なく、努力が大事だとわかった。ただ、恐ろしいのは、教育構造はすぐには変わらず、受け継がれ、その教育が正しく或いは普通だと思うように連鎖してしまうこと。
看護大学や専門学校では、誰もが一度は自分や周りで「あんたは看護師に向いてない」と言われたと聞く。そして、先生はそれに対し「社会に出たらもっと厳しいから今のうちに」「そうしてふるいにかける」「看護学生や看護師でも鬱病は多い」とよく授業でも口を揃える。
だか、実験で証明されている、人がおかしくなってしまう、余計ペナルティを課されることに耐える必要は、ない。
人はそれぞれストレス気弱性があり、環境に左右されるのに、平等の履き違えがある。教育構造は、専門学校、大学はどこも同じ。
これはほんの半年前の出来事だかが、今、看護教育を受けている人たちが、教育の仕方に疑問を持ち、本当に効率的な教育構造を立て直していって欲しい。
医療者だからと言って、実際に言われた「人それぞれだし、多様化」と言って片付けられない現状がある。いい看護師さんも勿論いるけれど、ただの傍観者が多数派なら、何も、変わらない。
私は、今でも看護の勉強が好きだ。医療者だからと言って、上の立場だからだといって、規則だからといって、話し合いの上で新たな発想を生まない話し合いは必要ない。
正直、病院に行く機会があって緊急以外で出来ることなら、看護師を選ぶ。
平等を履き違えて、平等な教育をしていると鬱病に対して症状をみず、年齢イコール出来る課題を求めて追い込み、さらに様々な実験で証明されている人の心理と体について全く知らない人が上に多いのは、あんまり変わらない構造だと思う。
鬱病は、身体的•精神的共に辛い。一番辛かったのは、話し合い、症状への理解が得られず、人は自分が知識人だと思った時点で何も学ぼうとしないこと。
その人の性格とその人自身の努力を、その人の年齢や症状や病名と分けることで、その人の成長をみることが出来る。私は、看護大学の教授達や看護大学生にそうして欲しかった。