アドラー心理学サロンです。
完璧なんて目指さなくていい、完璧なんてないこの世に存在しないのだから、ありのままのあなたでいいんですよ。
こうした言葉は、完璧主義になりがちな日本人に向けて頻繁に世の中には広まっている言葉だと思います。
あなたも何度か「完璧じゃなくていい」的な話を聞いたことがあるのではないでしょうか?
実は私は、こういう耳ざわりの良いその場しのぎな言葉ば大嫌いなのです。
完璧じゃなくていい?、ナンバーワンではなくてオンリーワンを目指せ?
もちろん一理ありますし、自分を否定するような考え方は賛同できませんが、なぜ私が世の中で広く使われる「完璧なんか目指さなくていい」が嫌いなのかというと、メディアや雑誌などで人々の共感をただ得ることによって注目を浴びようとしている中身の無い薄っぺらな言葉であることが多いからです。
そもそも、完璧を目指さなくていいからといって、努力することを止めるべきではありませんし、何かの目標に向かう歩みを止めるべきだとは思いません。
他人が自分をどう思うのかによって自分を定義して、自分という存在を確立させがちな日本人は、なぜか「完璧を目指さなくていい」となると同調圧力によって手を抜くことを覚えようとしてしまう傾向もあり、余計にこの考え方が嫌いです。
余程その人が追い込まれているのなら別ですが…
さて、前置きが長くなりましたが、私の思う完璧主義の代わりに取り入れるべきである考え方は、最善主義です。
私の唱える最善主義とは、現実の制約の中で自分のできる最高を目指すという考え方であり、完璧にこだわるのではなく、ベストを尽くして生きていこうという考え方です。
完璧主義と最善主義の最大の違いとは、前者が現実を拒絶する考え方であるのに対して、後者はあるがままの現実を受け入れた上でベストを尽くして生きる考え方であるということです。
完璧主義な考え方をしてしまう人は、どんなことにおいてもゴールまでの道のりには何の障害も無く、平坦でまっすぐなものであると思い込んでしまいます。
その為、想定外の障害や困難な出来事が一度起こるとイライラしてすぐにさじを投げ出してしまいます。
しかし、最善主義な考え方をすることができれば、ゴールまでの道のりにある障害や困難は人生において当たり前に存在する一部分であり、自分の成功には欠かせない要素であると理解できます。
希望の仕事に就けなかったり、最高のパートナーだと思っていた人に裏切られてもそれは満ち足りた人生の一部であると捉えられるのです。
完璧主義な人は、いつも空想の世界に生きていて、ネバーランドを探し出そうとしてしまっているのです。
現実には、失敗する可能性がゼロになることも無ければ、障害や困難が無くなることなんてありえないのです。
つまり、こうした現実から逃れようとしてしまうと、常に不安に苛まれる人生を生きることになってしまいます。
嫌な気持ちや不快な感情を避けようとばかりしてしまうと、その感情に注目してしまっては望まない出来事を引き起こしてしまう結果を招くことになります。
おまけに、不安を避けようとしてしまうと、自分らしく自分なりの人生を生きることを恐れるようになり、多くの人達が辿る安全そうな生き方をなぞるように生きることになりますので、自分の人生ではなく他人が良しとする人生を生きることになってしまいます。
現実を受け入れずにいると、非合理的で非現実的な夢物語に出てくるような空想めいた成功の基準を自分の中に持つようになってしまい、完璧主義者は常に実現不可能な成功基準を達成できずに満たされない気持ちに悩まされているのです。
最善主義者になれれば、ありのままの現実を受け入れることによって失敗することを楽しむとまではいかなくても、自然なこととして受け入れて余計な心配や不安とは無縁の、自分の人生を楽しむことができます。
人生、生きている限りはつらいことや悲しいことがあるのは当然であり、無理して抑え込んではネガティブな気持ちを増幅させてはいけません。
現実の世界にある制約や限界を受け入れて、自分の目標を一つひとつ達成してできるところまで頑張ればそれでいい。
もちろん、あなたが自分の非現実的とも言えるような目標を追いかけたいのなら話は別ですが、非現実的だと認識できているということは現実と非現実を区別できているということです。
完璧にこだわらず、最善主義者になってベストを尽くしながら現実の中でより良い人生が送れればそれでもいいのです。
あなたの人生が、本記事によってより良いものになりましたら望外の喜びです。