アドラー心理学サロンです。
メールにてご相談頂いた内容を、お悩み事例として質問と回答のセットでご紹介致します。
個人情報に関しましては、一部にぼかしを入れて細心の注意を払っています。
今回のご相談は、劣等感が強く、劣等感を無くす為に努力してきたがどうにもならず、せめて自分を好きになりたいがどうすればいいのか?とのお悩みです。
アドラー心理学の観点から、劣等感との付き合い方、劣等感から逃れる方法について解説させて頂きました。
あなたの悩みの解決にも、本記事が少しでも役立てましたら幸甚です。
Q1. ご相談
アドラー心理学サロン様、初めまして。
Twitterでの悩みを募集しているとのことでしたので、お送りさせていただきます!
あまり口にしない内容なので、文章がおかしい箇所も出てくるとは思いますが。。
よろしくお願いします。
単刀直入に悩みをいえば、「劣等感に支配されていて辛い」ということです。経緯をざっくりと説明します。
私は高校生の頃、いじめを受けていました。その理由は、顔がブサイクだったからみたいです。高校2年生である1年間、ほぼ毎日いじめを受けてきました。それが(自分の中では)トラウマになり、人を信用できなくなり、自分の外見に自信が持てなくなりました。
大学に入学してからは、それなりにイメチェンをして、友達からは「垢ぬけたね」とか「かっこよくなったね」と言われるようになりました。が、自分は「どうせ冷やかしでしょ」と思い、その言葉信じませんでした。
大学2年生の時、好きな人ができました。
自分なりに頑張ってアプローチしたのですが、自信が無い故に喰いつき気味になってしまい、結局フラれてしまいました。その時を境に、かなりネガティブになったと思います。このことはよく友達に相談するのですが、みんながそろいもそろって口にするのは「もっと自信もっていいと思う」です。
私はこの言葉がすごく嫌いです。今までの自分に結果が伴ってないのに、どうやって自信を持てばいいんですか?傲慢なことを言いますが、こんな自分を変えたいと思って、自分なりに行動はしたと思っています。
でもどれもこれも無駄でした。結局自分の価値のなさや無能さを他人に、そして自分に晒しているだけでした。アルバイトではミスを連発し、勉強も億劫で、女性一人とも親密な関係になれない。他の人はできるのに。最近になって、劣等感がより激しくなりました。常に誰かと比較して、自分よりも下の人間を探さないと苦しくて消えたくなります。
また、自分を肯定することもできなくなってきました。自分は人間として当たり前のことが出来ない、といつも自分で自分を虐めてしまいます。もはや今自分がどうすべきなのかもわかりません。変わりたい気持ちは確かにあります。
が、今のどん底の状態から逸脱すること恐怖を感じています。多分、今の状態に安堵感をも覚えているんだと思います。
せめて、自分を好きになりたいです。劣等感も取り去りたいですが、こんな無価値な人間でも生きて価値があるのか、教えてほしいです。
長々と書かせていただきました。文章が下手でしたらすみません。
もしよろしければ、こんな私を助けてください。お願いします。
A1. 回答
これまで多数、劣等感の克服の方法についてはアドラー心理学サロンのブログにてご紹介させて頂いておりますが、そちらはご覧頂けてますか?
結論から申し上げますと、劣等感は誰しもが持つものであり、劣等感を無くすことはできません。
無理矢理に「自分は価値があり、自分以外の全ての生物は自分よりも劣っているんだ!」と宗教を盲信するように思い込んでいる人間以外には劣等感は存在するのです。
思い込んで劣等感を無くしている人たちも、実は劣等感があるからこそこうした極端な思想に陥っているので、劣等感があることの裏返しなのです。
アドラー心理学では、人間には今よりも良い状態でありたいという向上心が生まれつきに備わっているとしています。
「優越性の追求」と呼ばれる人間の性質ですが、生来的に今よりも良い状態を願う性質があるということは、人間は今に満足することは永遠に無いということになります。
つまり、大切なのは劣等感とどう付き合っていくのかということです。
自分に自信を付けたいとお考えのようですが、例えば手前味噌なお話で恐縮ですが、私は自信なんて欲しくありません。
自分に満足してしまうということは、それ以上に大きな成長をする為に努力することも、何かを成し遂げる達成感も何も感じることができなくなってしまうからです。
自信というよりも、自分を受け入れる勇気を持って、目の前の困難を克服しようと思える勇気があればいいのです。
他人と自分を比較したり、非現実的な目標を掲げて自分を苦しめるよりも、人は他人のことを完璧に知ることもできなければ、自分の頭の中で作り出した理想は必ずしも実現できる現実性があるとは限らないと割り切って、自分のやれることをやることが大切です。
他人や非現実的な理想の自分との比較よりも、「今日の自分は昨日の自分よりもどれほど成長できているのか?」という観点から自分を見つめ直すのはいかがでしょうか?
他人と比較して自分は上なのか、下なのか知ろうとするよりも、無意味な自己嫌悪を引き起こすことを防止することもできます。
どうしても自分が嫌いで耐えられないのなら、いっそのこと何かに没頭して文字通り無我夢中になることをおすすめします。
今の自分にやれることを片っ端からひたすらにやっていくと、結果は後から付いて来ます。
今やれることに全力を出すことが何よりも大切であり「今何をするのか」が未来を作っていきます。
望まない結果になることもあるかもしれませんが、人はそもそも今やれることしかやれません。
結果なんて考えずに「今、この時」を必死に生きることで、必ず成果を出すことができ、それが「点」となって、複数の「点」が出来上がれば「線」になります。
この「線」こそが人生なのです。