生まれ持った精神的な強さって個人的には大して変わりません。後天的に鍛えられるかどうかでいうとそれも誤差の範囲だと思ってます。
精神的な健康を保つには、強くなろうとするよりも考え方とかを切り替えた方が手っ取り早いのです。
身体で例えると、筋トレして身体鍛えたところで、力とか持久力は上がるかもしれませんけど、怪我すれば痛いし、治るのが早くなる訳ではありませんしね笑。
むしろ怪我をしない工夫をした方がいいのと同様に、精神的なダメージを避けたり受けない工夫が重要なのです。
それには、世界を物理と精神(仮想)に区分して、自分の精神を他人のものとすっぱり区別してダメージを減らしたり回避するようにするのです。
世界を大きく2つに分割すると、精神世界と物理世界に分けられます。
つまり、日常の中で肉体を通して知覚される世界が物理世界であって、頭で考え事をしたり悩んだり、感じることが精神世界です。
物理世界は一つしか存在しないのに対して、精神世界は人の数だけ存在していて、個人的な世界に加えてみんなと共有するコミュニティの精神世界も存在しています。
コミュニティにおける精神世界は社会や宗教、会社や学校のような特定の目的の為に人が集まって何らかのルールやお決まり事による縛りがある場所です。
個人における精神世界はまさに自由な妄想じみた思い込みを含めて、自分だけの思考・創造空間になります。
自分個人の精神世界と、共有している精神世界、他人の精神世界をしっかりと区別しておくと、精神的にダメージを受けたり病むことが少なくなります。
自分の精神世界には自分にしか入れませんし、自分が許可しない限りは誰にも犯すことができない領域です。
区別が曖昧になっていると、他人の精神世界で作り出された批判や、みんなと共有している精神世界のルールや概念が自分のものと違った時に、必要以上にダメージを受けることになってしまいます。
考えてもみると共感して頂けると思いますが、人が一番苦しむ時は自分で自分の価値を疑う時です。
他人や外の世界からの反応に敏感な人はやたらと自分の精神世界が荒らされてしまってるのです。
それなら、何を言われようと、「それはこの人の頭の中で作り出されたものだ」とか、「ここでのルールだから仕方ない」という風に、自分の精神世界とは別のルールや情報で運用されているのだと区別しておけば自分で自分を疑う必要が無くなります。
自分の精神世界では、自分の好きなようにしてればいいのです。60代のおじさんが自分は女子高生だと思い込んでいれば、社会や他人が認めるのかどうかに関わらずそれが真実なのです。人生は思い込みの産物ですし、好きなように思い込めばいい。
みんなで共有するコミュニティでの精神世界の中でルールを守って、正常に生活できてればそれでいいのです。
もちろん、コミュニティで何を言われようとそれはそこの個人の精神世界での概念なので、コミュニティの精神世界に反してなければそれはそれだと区別すればいいのです。
自分の思考や想像からなる精神世界を侵食されたくなければ、あなたからももちろん他人の精神世界には介入しなければいい。
そういう考え方をすれば、精神的なダメージを受けることが少なくなります。
それって都合の良すぎない?って反論ありそうですけど、不都合な事実を自分の中で作り変えて現実逃避をしたりするのも自由です。
でも、現実をありのまま受け入れて、それにどう反応するのかは自分次第です。他人や社会との関わり合いの中で、何かしら認めてもらう必要があることもあるでしょう。そんな時には自分を柔軟に変えていく姿勢は必要です。
自分の価値観と他人の価値観、社会としての価値観がごっちゃになるから辛くなるんですよね。日本は村社会なので、自分と他人の区別が曖昧になる人が多いので本当に注意が必要です。
また、補足として肉体的な苦痛からの逃れ方についてですが、自分の身体を入れ物だと思って、自分という本体が入ってる道具だと見立てるようにしてはいかがでしょうか?
すると、体調が悪くても、疲れ果てていても自分が傷付いているのではなくて、道具に限界が来そうだなと考える事ができるので、精神と肉体のダメージを分離できるので総合的に軽減できます。
世の中にはとにかく攻撃的で、良心のない危険人物が存在します。信じられないくらい酷い目に遭わされてしまう事もあると思いますが、そういう連中は動物だと思って災難だったと片付けましょう。
道端で犬猫に噛まれたりひっかかれても、「痛い!」くらいで終わりますよね?大怪我してしまうこともあると思いますが、動物のしたことなので恨んだり憎んだりはしないはず。
人間ではない別の生き物であり、事故に遭ったのだと思ってればそれでいいのです。
酷い目に遭わされてもまだ憎しみを感じるあなたはむしろ優しすぎるのかもしれません。