他人に幸せにしてもらおうとは考えるべきではありません。
他人にはあなたが幸せになろうと、不幸になろうと関係が無いからです。
それに、今のあなたが幸せに生きているのか、不幸に生きているのかも、他人には関係ありませんし、あなたにも他人がどんな人生を生きていようと関係の無いことだからです。
もちろん、他人への優しさは必要ですので、困ってる人を助けたり、誰かの力になろうとすることは必要なことですし、他人を幸せにすることで人間は自分自身も幸せになれる生き物ですのでどんどん他人を幸せにする活動は続けて下さい。
でも、幸せになるのか不幸になるのかは最終的には本人次第です。
本人が自分なんて幸せになれるはずがないと思っていれば、幸せには絶対になれないことでしょう。
こうした他人の考え方までは、他人である自分には変えることのできないものです。
ここで、アドラー心理学の課題の分離を思い出して下さい。
他人が何を考えているのかは他人が決める他人の課題です。
もちろん、変える為の努力をするのは自分の課題ですが、無理に変えようとしても自分が疲れ果ててしまうだけですし、他人の課題への介入になってしまいます。
幸せは自分でなるものであって、他人にしてもらうものではありません。
大人なら、自分の機嫌は自分で取れて当たり前ですし、何の関係も無い他人に不機嫌な態度を見せてしまうのは甘えです。
当たり前のようで自覚できていない人も多いのですが、人間は他人の欠点を見つけるのは上手いわりには自分の欠点を見つけることは苦手なもの。
他人の欠点を見つけることを通して、自分が優れていると無意識レベルで思い込んでしまう醜い一面があるからです。
話を戻しますと、他人を幸せにする努力はできても、他人を幸せにすることは一介の人間には不可能なのです。
つまり、あなたも他人に幸せにしてもらうことはできませんし、あなたも他人を幸せにすることはできません。
なので、自分が幸せではない理由を他人に求めるのは間違っています。
中には、本当に相手が悪いと認めざるを得ないくらいに辛い経験をされている人もおりますが、それでも他人のせいにしている限りは幸せをつかむことは難しくなってしまいます。
日本社会では「1人はみんなのために、みんなは1人のために」という考え方の染み込んだ集団主義的な文化が強く、他責思考になって他人に依存してしまう人が多数見られます。
「自分の幸せと人生の責任は自分にある」と考える個人主義の欧米文化と比較すると、「みんなのために貢献していれば、みんなであなたの面倒をみますよ」という風潮が強いのです。
西洋と東洋の文化の違いに最大の原因はあります。
アメリカやヨーロッパなど、西洋文化圏の国々では"Me culture"と呼ばれる文化があり、日本や韓国など東洋の国々はそれに対して"we culture"を持っています。
それぞれの特徴としましては、西洋は個人主義的であり、東洋は集団主義的であるということです。
個人主義と聞くと、日本人は自己中心的だとか、利己主義で自分さえ良ければいいみたいなイメージを持ちやすい傾向がありますが、全くの別物です。
言い換えるのなら、自分主体といったところでしょうか。
私たち日本人はみんなと同じであること、みんなと上手くやっていけることが、「一人前」の証であり、正しいことだと教え込まれていますので、こう考えてしまうのも無理はありません。
話が少しそれてしまいましたが、西洋文化が正しいとは主張したい訳ではありません。
何が言いたいのかというと、本質的には、人は他人の幸せや人生の責任を負うことはできないので、自分の望む人生を送るには自分から変わって他人からの扱われ方、付き合う人達、囲まれる環境を変える必要があります。
自分原因論で生きることが、あなたが幸せになる最短の道なのです。
自責思考になって全て自分に原因があると考えることは必要ですが、自分を責める必要はありません。
なんでも自分に原因があるという考え方を持つことと、自分を悪者だと考えることは意味が全く異なります。
自分が悪いと自分を責める思考の背景には、悪者探しをしたい心理が隠れています。悪者を見つけ出して成敗することが目的なのではなく、原因を自分の中から見つけ出して解決する努力が必要なのです。
やたらと自分を責めてばかりいては、辛くなるばかりで心が限界を迎えてしまいますので取り違えないようにお気をつけ下さい。