他人から認められて、褒めてもらえたところで自分の価値が高まるわけではありません。
もちろん、組織の中で働いている会社員等であれば、立場上はある程度は周囲や上司からの評価は気にする必要があります。
上司からの評価を一切気にしないで出世することは難しいですし、働いていくことすら難しくなってしまいますからね。
組織の中では本当の自分ではない、組織に適した人格を演じて「本当の自分」とは区別して他者の評価を受け入れる必要があります。
ただ、自分の価値を他人に決めさせないようにしましょう。
他人にどう思われていようと、何を言われようと、自分の価値は自分で決めることです。
日本人は自分と他人の区別が曖昧であることが多いので、他人からの評価と自己評価を混同してしまう人が少なくありません。
それでも、どんな環境にいようと、過去にどんな経験をしてきて、他人にどう思われていようと自分がどんな人間なのかは自分で決めていることです。
あなたが他人の思考をコントロールすることができないように、自分の思考も他人にはコントロールできないのです。
アドラー心理学には課題の分離という考え方があります。
他人が自分をどう思うのかは相手が決める他人の課題であり、自分で変えられる自分の課題ではないということです。
考えてもみてください、他人にバカだと言われると「私ってバカなのかな?・・・」と疑ってしまうこともあると思いますし、頭が悪い人として周囲から扱われてしまうこともあると思います。
それでも、自分は頭が悪いと決めているのは自分であって、他人や環境は自己評価を決定しているのではなく、影響を与えているに過ぎません。
訳の分からない噂話を流されたり、どうしようもない扱いをされたら、自分なりに状況に適応する努力は一定のレベルで必要ですがそんな場所からは離れるなり、深くそこにいる人達とは関わらないで自分の課題に介入させないようにしたほうがいいでしょう。
他人にどう思われるかとか、世間体なんかよりもっと大切なことは、自分で自分を好きでいられるかどうかです。
人生は自己満足なので、自分なりに幸せならそれでいいのですからね。
承認欲求を満たそうとばかりしていたら、自分の人生が他人の人生になってしまいますよ。
承認欲求を無くすことはできませんが、過度に他人に褒められたいとか、認められたいと願っていたら、本当に自分がやりたいことよりも他人から注目されることばかりする羽目になりますよ。
他人に凄そうだと思われたり、強そうだと思われたい気持ちは分かりますが、そんなハリボテになりたい訳ではなくて本心では本当に凄い人間になりたいのではありませんか?
上昇志向な人でなかったとしても、幸せそうに見られるよりも本当に幸せになりたいのが本心だと思います。
凄そうだと思われるよりも、本当の意味で凄くなりたいと思っている人の方が大多数なのは間違いありません。
アドラーの言葉には下記のような言葉があります。
”褒められている間は、前に進むことができた。そういう子は一層の努力が必要なときがくると、勇気がくじかれ、退却した”
”いつも注目されたいと期待している子は、簡単に満足を得る方法がないと、何か、あるいは誰かを責め立てるのだ”
どちらも子供を対象にした言葉ですが、子供の頃にこういう同級生が必ず一人や二人はいたと思います。
大人になっても同様で、子供よりも嘘をつくのが上手くなっている分だけ巧みに自分の弱さを悟られないようにしているだけで、本質的には同じことです。
また、アドラーは下記の言葉も残しています。
“人は正しいことをして注目されないと、時に「負の注目」を集めようとする。人生をみじめにするような努力はやめるべきだ”
つまり、褒められたい、認められたいからって自分の本心とは異なる人生を生きていたら、どんどん惨めになってしまうのです。
それに、褒められたいだけの人は、どれだけ頑張っても本気でやりたくて努力している人には劣ります。
目立つことばかり考えてる人は、本当に自分を高める努力を怠って凄いと思われることにばかり力を入れる。
そうして、裸の王様として終わっていきます。
そろそろ、他人によく思われることを目的にした他人の人生を生きるのはやめて、自分の人生は生き始めませんか?