真面目な頑張り屋さんは、いつもこんなんじゃダメだと自分を無意味に責め続けてしまいます。
「そこそこ」でいいんですよ。
完璧な人間はいませんし、理想の自分になろうとしていたら心が壊れるだけです。
理想は理想、現実的に理想の姿は実現することは不可能です。
ありのまま自分を認めて、今の自分ができる最大限の努力をすればいいのです。
人の欠点や過ちを許してあげられる人は、自分も大切にすることもできる。
他人に厳しい人は、自分の中で「人はこうあるべき」だというこだわりが強過ぎるのです。
完璧主義に陥ってしまうと、自分に対しても厳しくなり過ぎてしまいますし、他人に対しても厳しくなってしまって息苦しい人生になってしまいます。
ありのままの他人を認めてあげられると、ありのままの自分も受け入れられる。
完璧な人間なんていない。
もっと「人」に寛大になりましょう。
自分の過ちは許しましょう。
過ちを犯さない人間は、この世には存在しません。
常に正しい判断を下せる根拠となる知識や見聞をすべて持ち合わせることも、神様でも何でもないひとりの人間の限りある認知能力では不可能なのです。
過ちは、やむをえません。
あなたはこれまで、その時点で知り得る範囲の最善を尽くしてきました。
必要以上に、自分を責めなくていい。
完璧なんて目指す必要はない。
自分なりに楽しめていて、幸せを感じられればそれでいいのです。
誰かに認められる必要はない、自分で自分を認めてあげればいいのですからね。
不完全な自分を受け入れよう。
そして、不完全な他人を許すのです。
人間は完璧にはなりえない。
誰しもが間違えるし、欠点を持っているのです。
自分と他人の不完全さに悩んでいたら、永遠に苦しむことになります。
不完全な中で、より良く生きることだけを考えていればいいのです。
アドラーは下記の言葉を残しました。
「仕事で敗北しませんでした。働かなかったからです」、「人間関係で失敗しませんでした。人の輪に入らなかったからです」。彼の人生は完璧で、そして最悪だった。
どういうことかと言いますと、何も間違えることなく、大きな失敗もない人生は、何もうまくいかない、何も成功することもないような、ドキドキ感もワクワク感もない退屈な人生です。
完璧で予定通りの人生には、成功も失敗も無いものです。
もっと不真面目に生きていい。
真面目に考え過ぎるから、疲れてしまうのですよ。
完壁にやろうとするより、最善を目指せばそれで十分です。
失敗したところで、取り返しが付かなくなるようなことはない。
自分で自分を追い込んで、ひたすらに自分を苦しめてしまっているだけなのです。気楽に生きていきましょう。