悩みは自分のこうあって欲しい、こうありたいという願望と、現実のギャップから生じます。
何らかの「こうありたい」、「こうしたい」、「こうあって欲しい」という願望を叶えたいのなら、相応の努力をする必要があります。
その努力を、口ではやりたいと言うけれど内心では「自分には無理だ」と諦めてしまっている人は少なくありません。
やりたいとかできないとかそういう問題じゃなくて、願望を現実のものにしたいのなら努力が必要ですし、努力したくない、もしくは自分にはできないと思うのなら願望の損切りが必要です。
つまり、願望を小さくしたり、減らして「足るを知る」ということです。
毒親育ちや障害を持っている人、トラウマを抱えている人に非常に多いのですが、自分が人よりも恵まれない境遇にいるからできなくても仕方がないと自覚の有無に関わらず無意識に諦めている人が非常に多いのです。
人並みに努力したり、能力を発揮しようと思えないのなら、世間でよく言われるような人並みの幸せである「結婚・子育て・持ち家」などは諦めた方がいいですね。
というよりも、諦めないといけないのです。
不幸な境遇だからとか、惨めな生い立ちだから自分は未熟でも許されて、無条件に人並みの幸せを得る資格があると勘違いしている人が世の中には本当に多いです。
当たり前ですが、不幸な境遇にある人はそれなりに援助を受ける資格があると思いますし、受けるべきです。
しかし、それは諦めないで自分にできることで頑張ろうという意思があり、与えられた環境の中で自分なりに自助努力をしている人にのみ与えられるものです。
当たり前な話ですが、国が定めているような公的支援は別の話ですが、個人や会社など「私的」な存在においては、誰を応援するかどうかは自由であるということです。
実際のところ、どのようなハンディキャップを持っていようと、その人なりに活躍する方法はいくらでもあります。
つまり、どのような状況からでも、自分次第でいくらでも人生は切り開いていけるということです。