発達障害をお持ちの人は、先天的な特徴である発達障害を個性のようなものであると聞くと安心することが多いです。
しかし、発達障害が個性のようなものであるということを認めるのなら、後天的な努力によって健常者と同じ条件で生きることを自分で認めることにもなります。
発達障害だけではなく、精神疾患についても同様のことが言えまして、精神障害については自分で自分には障害があって、生きる上で支障があると自覚できている人については後天的な努力と工夫によってどうにでもなるということになります。
なぜなら、本当に異常な人は自分の異常性を自覚できず、社会的に著しい問題を起こして他人の心身に危害を加えてしまったり、幻覚を見ていてそれを幻覚であると認めることもできないからです。
たとえばですが、頭が良くない人は自分の頭が良くないことを自覚できていないものです。
少なくとも、自分で自分の頭が悪いと自覚できているのなら、その悪いところを改善すればいいだけなので、頭が悪いから改善できないというよりも向上心が足りないのが問題です。
発達障害のように先天的な特性は治すことはできなくても、努力によってある程度は改善することは可能です。
治らなくても、工夫をすることで問題にならないようにすることだって可能なのです。
逆にその特性を活かして活躍することもできます。
いかなる障害も、それを自分がどう捉えるのか次第です。
健常者だって完ぺきではないのですから、完ぺきを目指さないことです。
「発達障害は甘えなのか?」という議論は至るところでされていますが、たしかに根性でどうにかなる部分もかなりあります。
発達障害は脳の先天的な障害であるとされています(科学的には解明されていないことも多い)が、ある部分が未熟なだけであって、決して学習能力が皆無である訳ではありませんので、普通の人と同じようになることはできなくても、改善はできますし工夫によって前述の通りどうにかなります。
障害があるからといって、健常者よりも劣るとは限りませんし、健常者に勝る人もいます。
身体障害を持っていたとしても、社会的に成功をおさめている人もいるくらいですから、努力と工夫次第でどうにかなることも多いのです。
自分を可哀想だと思い、被害者意識を持つことの恐ろしさは、自分は不幸だから人並みに苦労をしたり、努力をしなくても、人並みの幸せが無条件に与えられて当たり前なのだと勘違いをしてしまうことです。
すると、何にでも不平不満ばかりを口にするようになり、要求ばかりをする甘えになってしまいます。
発達障害があることが発覚してショックを受けられる人は多いのですが、結局は自分の努力と工夫によって上手く生きることは可能なのです。
大切なことは、諦めないことです。
下記にてnoteでの記事のリンクを貼っておきます。
内容について深掘りをしたい方は、ぜひお目をお通しください。