反省する暇があるなら、次にどうするか?と前向きなことを考えた方が圧倒的に生産的です。
なぜなら、いくら反省しても過去は変わらないからです。
反省をする心理の背景には罪悪感があるものですが、この罪悪感というものがなかなかの曲者です。
アドラー心理学では、すべての感情には何らかの目的があるとしています。
つまり、罪悪感には「私を責めないで欲しい」という目的が隠れているということです。
「私はこれだけ自分を責めて苦しんでいるのだから、あなたは私を責めないで欲しい」ということです。
つまり、自己防衛が罪悪感という感情の目的ということです。
「反省は不要である」と聞くと、反省してくれない人が多くて困っていますという声や、反省しないと同じことを繰り返してしまうのではないか?というご意見を頂くことも少なくありません。
これからどうするのかを考える上で、失敗した原因は考えるものであって、それに反省は不要です。
なぜなら、反省は単なる自己嫌悪に過ぎず、何も状況を変えられないどころか、放置して悪化させてしまう危険性すらあるからです。
反省をして自分を責めるくらいなら、次にどうするべきなのか?を考えた方がいいというのはこのことです。
また、反省しない人がいるという意見については、反省をして自分が受けた苦しみの分だけ苦しんで欲しいという目的が隠されています。
自分を苦しめた人には、同じように苦しんでもらうよりも、補償をしてもらえた方がいいのではないでしょうか?
反省されたところで何にもならないですし、むしろ、怒りと悲しみが一時的に収まるだけでいつまでも感情のしこりが残るばかりで終わってしまうものです。
ということで、反省は不要であるというお話でした。