ポジティブ心理学サロン(アドラー心理学サロン)

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頼ったら、洗脳されるだけ‼️

アドラー心理学サロンです。


世の中の多くの人達は、心理学を催眠術や魔法のようなものとして捉えていらっしゃる方が多いようです。


答えを求めて、他の考えや意見を受け入れずに一つのことを盲信してしまうと、そこにあなたはいなくなります。


本記事では、他人や特定の体系的にまとめられた学問、思想をどのように活用していくべきなのかをご提案させて頂きます。


正解なんて存在しない


正解か不正解か、正義か悪か、白か黒か、これは常に可変的であり、一定ではありません。


正義の反対は、必ずしも悪ではなく他人の正義になります。正解の反対も同様に、不正解ではなく他人にとっての正解になることもあります。


犯罪が一概に悪に基づくものではないということと、同じ論理です。


あなたなりの正義を守る為に、車に轢かれそうになっている子供を助けようとして信号無視をして道路に飛び出すことも、他人にとっては正義にも悪にもなります。


法律に答えを求めることは、法律によって自分の善悪を決めることになりますので、そこにあなたは存在しません。

 

裁判でも、同じ法律を破っても判決が異なることがあるのと同じです。


アドラー心理学に答えを求めてしまうことも、心理学者アルフレッド・アドラーに答えを求めてしまい、アドラー心理学の観点から正解か不正解かを判断することになってしまいます。


法律や心理学、宗教、どんな学問でも特的の思想に染まりきってしまうということは、自分を失うことにもなってしまうのです。


心理学などの法則や思想は、あくまでも考え方の道具の一つであって、それこそ人間が作り上げたものですので完璧ではもちろんありません。


人は大人になる過程で、親の言うことを聞き、親に答え合わせをしてもらいながら正解を覚えていきます。


つまり、何かに「答え」を求めること自体が親の顔色を窺う子供のような「依存」になってしまうこともあるのです。


「答え」を求めてはいけない


どんなことにも共通ですが、自分以外に答えを求めてしまうことは良いことではありません。


アドラー心理学では、すべての人達はそれぞれの主観的な世界で生きていて、客観的な事実は存在しない、すべては主観的な解釈によるという考え方をしています。


まさに、この通りであると私は考えてはいます。


理由としては、人間には認知能力の限界があり、世の中のすべての知識がある訳でも無く、すべてのことを経験したり、すべての人達の感性に共感できるとは限らないからです。


誰一人として、同じ原因を持つ訳ではないのですから、同じ考えになることはありませんので論理的に考えて、本質的に客観性なんてものは存在自体しないのです。

 

自分が客観的だと思っていることは、自分の主観で認識した範囲での客観性でしかなく、何を客観的だと捉えるのか自体が人それぞれの主観なのです。


時に職場などで他人と接する際には、自分の主観的な意見が認められないことや、言ってしまうとその場を乱したり、誰かを傷付けてしまうこともあります。


ただ、言わないと自分が大変な思いをしたり、不本意なことをやらされるだけになってしまうこともあるのです。 


他人に、自分の課題へ介入されてしまっているということにもなります。


そんな時には、最大限に配慮して、周りの人達への影響を度外視して自分の意見を押し通す必要に迫られることもあります。


アドラーはお互いの課題を分離して、相互理解を図ることを説いておりますが、他人の事情を思いやりながらも、上記のように、他人の事情を無視する必要がある時もあるのです。


相互理解をするにしても、相手に自分のことを理解できるだけのリテラシーや、自分のことを理解しようとする姿勢が無くては、いくら努力しても理解してもらおうと承認欲求を満たそうとするだけの状態になりかねません。


相互理解にも、限界が存在するということですね。

 

「答え」は、状況によっても、人によっても同じではありません。


例外は存在する


これは、抽象論と具体論の違いであるとも言えます。


心理学の一つの考え方が、個々の具体的なことに適用されるのかどうかというと、必ずしもそうではないのです。


心理学に限りませんが、「"A"は"B"である」という話があったとしても、「"C"はどうなんだ?、"D"は?」という反論を聞かれたことがあるのではないでしょうか?


アドラー心理学であっても、一つ一つの考え方の中で、捉え方の解像度が変わると、大きな概念である抽象と、小さな概念である具体で、同じ概念であっても形が変わるのです。


あまり法則に凝り固まってしまうと、「お父さんはこう言ってたから~」、「先生が~って言ってたから」と話す子供と同じになってしまうのです。


学校や学会、宗教団体では、立場上、自分達の学説、信仰に例外はありませんとは言えません。


私は、どこにも属さないあなたと同じ実践者として、アドラー心理学の考え方を「ご紹介」させて頂いております。


私の「ご紹介」するアドラー心理学をベースとした考え方を絶対とするのではなく、自分の為に活用して頂きたいのです。


「自分がどう思うのか?」を基準にしないと、アドラー心理学の考え方を実践しているようでアドラー教の布教者、または信者になってしまいます。


こうなると、客観的な事実の存在を否定して、主観的な解釈に過ぎませんと主張する心理学者アルフレッド・アドラーの理念とは正反対の結果になってしまうのではないでしょうか?


「答え」は、いつでも自分の中にあるものです。


しかしながら、特定の思想に依存することもまた一つのあり方だと思いますので、私はあなたに介入しません。


あなたにとっての正解が、本当にそこにあるのなら、それは正解なのだと思います。