アドラー心理学サロンです。
今回は、自分の居場所について書いていきたいと思います。
学校や職場といった組織において、人が集まる場所では大抵皆さんはご自身の居場所を探し、確保しようとされることかと思われます。
居場所やそこへの所属感についてのアドラー心理学での考え方、捉え方をご参考により快適な人生を送れるようになって頂けましたら望外の喜びです。
まず、私たちは共同体の一員として、ここに所属しています。
共同体の中で自分の居場所があると感じられること、「ここにいても良い」と感じることができる「所属感」は人間としての基本的な欲求となります。
そこで、自分に対する考え方なのですが、ほとんどの方は自分が世界の中心であると捉えておりますが、「わたし」は世界の中心に君臨しているのではないとご認識ください。
代わりに、自分の人生における主人公は「わたし」であると認識しましょう、「わたし」は人生の主人公でいて共同体の一員であり、全体の一部なのです。
つまり、あなたは共同体の一部であり、中心にいるわけではないのです。
私たちはみんな「ここにいても良い」という「所属感」を人間としての根源的欲求を求めています。
この「所属感」とはただそこにいるだけで得られるものではなく、共同体に対して自分から積極的な「貢献 (コミット)」 をすることで獲得するものであるとしています。
具体的にこの「貢献 (コミット)」 とは、「人生のタスク」に向かい合っていくことを指します。
つまり、「対人関係のタスク」である「仕事」、「交友」、「愛」というタスクに積極的に踏み出していくことです。
「この人はわたしに何を与えてくれるのか?」ではなく、「わたしはこの人に何を与えられるか?」を考えなければなりません。
所属感とは、生まれながらに与えられるものではなく、自分の手で獲得していく必要があるのです。
大きな共同体の存在を認識する
アドラー心理学では、「すべての悩みは対人関係から生じる」とし、この対人関係の入り口に「課題の分離」があり、ゴールには「共同体感覚」があるとしてます。
この「共同体感覚」とは「他者を仲間と見なし、そこに自分の居場所があると感じられること」を指します。
ここで「共同体」という言葉は範囲としては地域でも国でも宇宙でもありません、「無限大」であり全てを包括しているものであると認識しましょう。
たとえ大学を卒業して就職をしなくても、会社を定年退職しても、人は国や地域、家庭等何らかの複数の共同体に所属しております。
例えばですが、あなたがサラリーマンで、「会社」という共同体こそが全てであり、私は会社があるからこそ「私」なのであり、それ以外はありえないと認識していたとします。
そうすると、その共同体の中で、いじめや左遷、リストラなどの問題に遭遇してしまい、同僚や会社に馴染めない、仕事が好きになれないと感じてしまうと所属感はもちろん持つことができません。
特に日本人は、「自分はみんなの中の1人」という意識が強い為、組織などの集団と自我を一体化させてしまう傾向が強くあり、自我が強いと構成員から村八分されることもあります。
しかし、「みんなに合わせる」や「空気を読む」というのは、特定のごく少数の人間の権力に合わせて何も考えていないことと同義となります。
本来の意味でみんなで力を合わせるというのは、1人1人の意見や考えがあり、最善の行動を定めて動くことなのです。
盲目的な集団行動なんて合わせる価値はありません、何も考えずに集団行動を取ることは、単なる人生の課題からの逃避になってしまいます。
こうなると、会社よりも小さな共同体である家庭に逃げ込んで引きこもってしまったりと、何らかの形で無理矢理に所属感を得ようとしてしまいます。
ここで意識して頂きたいのは、「別の共同体があること」と、「もっと大きな共同体があること」です。
学校や会社などよりももっと大きな世界が存在するのです、つまり外側に居場所を見つけて所属感を得れば良いのです。
退学届や退職届け、下手をするとメール一通や電話一本程度で切れるような繋がりの共同体なんて大した価値はありません。
人生における行動指針として、特定の共同体の中での対人関係でトラブルに見舞われて出口が見えないのなら「もっと大きな共同体を見る」ことと、「別の共同体を見る」ことです。
学校なら学校、会社なら会社の中でコモンセンス (共通感覚) があり、教師や上司といった人達はその狭い共同体の中で権力を持っています。
しかしながら、教師や上司は人間社会というより粒度の高い共同体の中においては、対等な個人です。
理不尽な要求を突きつけられたのなら、その要求に無理に従う必要なありません、より大きな共同体を意識してより市場価値の高い人間を目指すのです。
理不尽な要求に対して、真正面から異を唱えてクビにされたり左遷されてしまうような関係なら最初から結ぶ必要なんてありませんし、そのような関係を継続する意味はありません。
関係が壊れることだけを怖れて生きていくのは、他社のために生きている不自由な人生なのです。
目の前の小さな共同体が全てだと思ってはいけません、もっと大きな共同体や別の共同体は必ず存在しております。
別の学校や会社、公的組織でもボランティア団体でも、世界には様々な共同体が存在し、人生は十人十色なのです。