アドラー心理学サロンです。
否定する人と、否定される人は紙一重であるとはどういう考え方なのか?
これは、否定する人は否定される人を求め、否定される人は否定する人を求めているという理論です。
これは、いじめっ子といじめられっ子の関係とも言えます。
他人からの陰口や、悪口への対処策を導き出す手助けや、他人をつい攻撃してしまう癖を改めるきっかけに、本記事がなれれば望外の喜びです。
先ず、人を否定する人達について見ていきましょう。
人を陰口や悪口などにより扱き下ろす人間は、強烈な劣等感を持っています。
他人を見下すようなことを言って、自分の存在価値を確認しようとしているのです。
ただ、実際にはこんなことをしても、潜在意識に自分の劣等感を余計に刷り込むこととなり、リストカットなどと変わらない自傷行為と同じで、傷口を更に広げる、または深くすることにしかなりません。
また、否定される人達は、自分が不幸や不満を感じることを、自分を否定してくる人達がいることが原因なのだとしています。
つまり、否定する人と同じように劣等感を持っており、自己憐憫を目的として、否定してくる人達を利用しているという見方もあるのです。
もちろん、どんな理由があれ人を傷付ける行為をすること自体には深刻な問題がありますし、それを実行する人達には人格的な問題がありますので、人を傷付ける行為やそうしたことを実行する人達を擁護する意図ではありません。
ただ、皮肉なことに否定する人と否定される人は、お互いに求め合う関係になってしまっております。
どうやってこの状態を解決するのか。
この否定する人と否定される人は、アドラー心理学でいう、人間の持つ普遍的な向上を願う欲求である「優越性の追求」を、不健全に扱ってしまっております。
これは、対人関係の中に競争を持ち込んでしまうことで生じる代表的な不健全性です。
対人関係の中に競争を持ち込むと、真の幸福感は得ることはできず、永遠に不幸と隣り合わせでいなくてはならなくなります。
そうならない為にも、健全な劣等感を持ちましょう。
健全な劣等感は、他者との相対的な比較から生まれるものではなく、「理想の自分」との比較から生まれます。
過去の自分や今の自分よりも前に進もうとすることでも得ることができます。
これは、「優越性の追求」の欲求を健全に取り扱うことに非常に大切です。
人間は、知識や経験などで違いは存在しますが、同じではないけれど対等なのです。
つまりは、他者を意識するのでなくて自分の目的を実現することに集中することで、否定することも否定されることも必要が無くなります。
目的といっても、壮大な夢や理想を持つ必要は無く、趣味でも仕事でも、
「気になるな、やってみよう!」と思えることなら何でも良いでしょう。
そうすることで、否定する人達も他人の陰口や悪口を言ったりしている時間も労力も惜しむようにもなりますし、否定される人も陰口や悪口などは基本的に反応が無ければ減るものでもあり、そもそも気にならなくなっているかもしれません。
もしくは、そうした陰口や悪口に対して前向きに対処することもできるようになれるかもしれません。
この考え方であれば、八方良しで丸く収まるかもしれません。