あなたは欲にかられて、大切なものを失ったことはありませんか?
基本的には、人間には防衛本能あるのでそこまで危険を冒すことはありませんが、賭け事などでもっと儲けようとして大金を投入しては全部スってしまうような経験多くの人がお持ちだと思います。
「もっとたくさんお金が欲しい」
「たくさんの異性から注目されたい」
「美味しいものを毎日でも食べたい」
こんな風に、人間は普段から非常に多くの誘惑にかられては多くの欲求との葛藤に苦しんでいます。
しかし、時に平常心でいれば絶対に手を出さないようなことにまで手を出させてしまうこともあるのが欲求です。
つまり、欲求は時に正常な判断力を奪い、「していいこと」と「してはいけないこと」の区別をできなくさせてしまうのです。
こうしたことから、あまり欲張りになって何でもかんでも限度を超えて欲し過ぎることには注意しなければいけません。
こう言うと、こんな反論が来てしまうかもしれません。
「欲求こそが人間の活動の原動力であって、欲求が無くなれば人間は生きてはいけないはずだ」
もちろん、欲求があることで一生懸命頑張れることもあると思います。
アドラーも人間の欲求に対しては否定的な考えをしておらず、あくまで自分の定めた目的を達成する為に人は努力することができるというスタンスです。
「贅沢な生活がしたい」
「自由に働けるようになりたい」
など自分の欲求について考えることで得られる目的もあります。
しかし、やはり自分の欲求にあまりにも執着してしまうと、自分が本来意図しない方向に向かってしまうことがあります。
自分の身の程をわきまえられなかったり、人との関係を犠牲にして自分の欲求を満たそうとしてしまうと、そもそも幸せになる為に生きているとのに不幸になってしまうので本末転倒な結果がもたらされることもあります。
大切なことは欲求を無くそうとするのではなくて、自分にとってはどの程度で十分なのかと足るを知ることです。
アドラーの観点から考えれば、課題の分離をして自分と他人の基準を区別することと、承認欲求を否定して本来の自分の欲求を満たすようにすることが大切となります。
その為には、アドラーの課題の分離をして、自分がどの程度で満足するのかは自分の課題であり、他人の課題では無いので他人の満足基準と自分の満足基準をごっちゃにしないようにすることも大切です。
また、アドラーは承認欲求を強く持ち過ぎることを批判しており、誰かに認めてもらえるように生きても幸せからは遠ざかってしまうとしています。
人間である以上、承認欲求は完璧に捨て去れはしませんが、今やっていることは本当に自分がやりたいことだったのだろうか?と自分に問いかけて、他人からの承認が目的になっているのなら別のことをやるようにしましょう。