アドラー心理学サロンです。
メールにてご相談頂いた内容を事例として質問と回答のセットでご紹介します。
今回のお悩みは、職場で仕事をしない同僚に対して怒りが収まらず、どうすれば良いのかとのご相談です。
アドラーの観点から、職場で迷惑な人がいた時にはどう考えて自分の仕事に集中していくのかをご提案させて頂きました。
個人情報に関しましては、一部ぼかしを入れて守っています。
あなたの悩みの解決に、本記事が役立ちましたら望外の喜びです。
Q1. ご相談
こんばんは。
現在昨年「嫌われる勇気」を読み、現在「幸せになる勇気」を読んでいるものです。
相談もありますが、この考えがアドラーの考えと合っているのかと気になりメールをさせていただきました。
御回答いただけると幸いです。
・年齢(年代でも可)
20代半ば
・性別
男性
・職業
会社員(営業)
・今後どうありたいのか
怒らず、仕事を上手く逃げるではなく協力しながらしっかりと行いたい。
・ご相談内容
仕事をしない(逃げる)人が多く不平等に感じております。
私は現在印刷会社で営業をしております。社内は、年功序列で若い人20~30代が数名、そこから上が多いような古き良き企業です。ペーパーレスと言われいており、他の柱となる事業を行うべきだと思いますが、とにかく新しいことに前向きではなく保守的で仕事を真面目にやる人ほど損な企業です。
あまりにも全体的に向上心がない為現在は、悩むことはなく転職にむけて動き出しております。
入社した当初は転職をしたので即戦力となれるよう、入社後すぐに新規営業に自発的に行ったりとして、評価は良いのですが、評価に伴うものはなくやる気がない人が多く、現在新規事業が進んでおりますが、周りが全く乗り気ではなく仕事を押し付けられている状態です。
その他、私自身が声をかけられやすいのか、新規事業で手一杯なのにも関わらず、新規のお客様から依頼の電話受けた事務の人は、私に仕事を振ってきたりします。真横で若い事務と私より半年社歴は上の1つ下の営業がいちゃついているにも関わらず。
この社内でいちゃついている営業は、上司を飛び越えて社長にいきなり社内の苦情を言いに行く人で、その他、仕事に引き継ぎは一切しない、とにかく自分が楽になるようにしか考えない人です。上司に仕事の引き継ぎがされない話をしても「あいつの人間性の問題だから」という言葉で片付けられてしまいます。
・「嫌われる勇気」を読んでですが、今この社内でいちゃついている営業は、社内的に嫌われており、社内も若い人が辞めないようにしているため、上司も注意しない状態です。これは、この営業はアドラー的な考えでは、勝ちということになるのでしょうか。
・このような状況下で、まだ「怒り」によって相手に自分の気持ちを分からせようとしている自分もいるので直したのですが、その場合は、思ったことをハッキリと言えば良いのでしょうか。
・仕事を上手く逃げるのは必要なのでしょうか
・この営業に対して、真面目に仕事をしているのに若い事務といちゃついていてモテていることや同じ給料で上手く仕事から逃げていて私よりも早く帰っているにも関わらず、いつも「忙しい」「眠い」「疲れた」と聞こえる声で独り言を言っていることに対して私が不平等さや納得のいかなさを感じていることはどう解消したら良いでしょうか。
・問題だと思う点
営業に対して、真面目に仕事をしているのに若い事務といちゃついていてモテていることや同じ給料で上手く仕事から逃げていることに対して私が不平等さを感じていること。
A. 回答
仕事をまじめにしないで嫌われることは「勝ち」ではありませんし、アドラーの嫌われる勇気はそういう意味ではなくて「嫌われることを恐れない勇気」のことを正確には表しています。
アドラーは周囲への貢献を心がけて、貢献感を持って周りにいる人達を援助することが自分自身の幸福にも、周囲の人達の幸福にもつながるとしています。
その方は自分が楽をして、お給料をもらっては文句をつけられているとのことですが、単なる自己中心的で身勝手な人ということになります。
その仕事をしない人に対する「怒り」の気持ちをどのように受け止めるべきなのか、どう表現するべきなのかとのことですがあなた自身が職務上の役割でその方を指導する立場なのかによって大きく変わってきます。
あなたがその方を指導して、業務の取りまとめたり円滑に進ませる役割にいるのであれば、その勤務態度を変えさせるようにする役割があります。
ただ、あなたが個人的にその方の勤務態度が間違っていると思っていたり、あなたの仕事を進める上でその方の怠慢によって実害があるのかどうかの区別をしっかりとつける必要があります。
その人が仕事に対してどんな考えを持っているのか、どう働いているのかはその人の課題であり、あなたの課題ではありません。
あなたは他人の課題には介入するべきではありませんし、本質的には他人の課題は変えられないのです。
アドラーの課題の分離の考え方ですが、要するにあなたが個人的に感じている怒りに関しては、その方を自分の思い通りに「真面目に働く人間に変えたい」という支配欲が目的となっているので、それは自分の課題ではなく管理する立場の人間の役割であるとして割り切りが必要となります。
個人的にこの人は間違っていると思う!といって街中で誰かにいちいち「そんな歩き方はやめて下さい!」と言ったりしているのと同じことになってしまいます。
また、あなたが仕事を進める上で、その方の怠慢によって自分の仕事が進められないなどの問題があるのであれば話は別です。
確かにあなたがその人を間違っていると思うのであれば、理論的にそう口から伝えることが必要となります。
ただ、余計な揉め事を起こすと社内であなたが窮屈な思いをすることにもなるので、その人に直接というよりは大人の対応として上司に報告したりして、然るべき対処を求めた方が良いと思われます。
しかしながら、その対処をするのかしないのかは上司などの管理の役割のある人達の課題なので、どうにもならなければ状況次第ではありますが、「自分の力だけではここまでが限界です」と伝えて自分のやれることだけやるようにするしかありません。
その人が必要なのか不要なのかは、その人を管理する役割にある人が決めることであり、あなたが決めることではありません。
私の発信している嫌われることは大切というお話は、陰口を言われる人は妬みや僻みの対象となるくらい優れている証拠でもあり、健全に努力しているのであればどんな陰口を叩かれようが気にする必要はありませんよという捉え方を提案しているだけであり、嫌われたり陰口を叩かれること全般に当てはまる訳ではありません。
少なくとも、その人の場合は別ですね。
結論としましては、気にしないで自分の仕事に集中して、組織内で頭角を表せばその人を指導する立場に上がれるることもあります。
その人の勤務態度が気に入らないのであれば、その人を管理する立場になれるように努力するか、転職して自分に合う環境を見つける方が生産的だと思います。