アドラー心理学サロンです。
あなたは誰かに嫌なことを言われたり、されたりしては頭に来て、その人のことばかり考えてしまって余計に不快な気持ちになったご経験はありますか?
頭に来ることを言われたり、されたりした時には、大抵の人は「そう言うけど、お前だって~じゃないか!」などと相手の欠点をあら探ししてしまいます。
当たり前かもしれませんが、私はは人の嫌がることを言ったりやったりすることを推奨しておらず、むしろ非常に愚かな行動であると認識しております。
しかし、実は嫌なことを言われたり、されたりした時に相手の悪いところをあら探ししては、心の中で相手を非難したり、嫌がることを言い返したり、やり返したりしてしまっては同じレベルになってしまいます。
むしろ、他人の為に自分の人生の時間を使って、「あら探し」という貢献を嫌いな人にしていることになってしまうのです。
よく、他人のあら探しをしては陰口や悪口ばかり言っている人がいます。
あら探しをすることは、他人の欠点を見つけてあげているだけであり、陰口や悪口を言うことは嫌いな人に欠点を指摘してあげているだけなのです。
嫌いな人のあら探しをしては、陰口を叩き、悪口を言ってばかりの人に私が良く言うのは、「あら探しをして、陰口や悪口ばかり言ってると、本当に相手が悪いのだとしても、嫌いな人の為に自分の人生を使って、嫌いな人を成功させようとしているようなものですよ」という言葉です。
何であなたが、嫌なことを言ったり、してくる人の為に人生の時間を使って成功させてあげないといけないのでしょうか?
あら探しをして自分の欠点を探してくれて、陰口と悪口で自分の欠点を指摘してくれる人達は、捉え方を変えれば、あなたの大切な人生の支援者なのです。
なぜ、人は他人のあら探しをしては、他人を叩くのでしょうか?
人のあら探しをする人間の心理を理解するには、劣等感を克服して今よりも良い状態にありたいという人間の持つ生来の欲望に性質について理解をしておく必要があります。
心理学者アドラーは、人間の持つ現状よりも良い状態にあることを望む性質を「優越性の追求」と呼び、これによって人間と劣等感は切り離せない関係にあると考えます。
よって、アドラー心理学では、他人のあら探しをしては陰口や悪口、嫌がらせをする人間は自分の劣等感を安易に穴埋めしようとしているだけの行為であるとしています。
要するに、他人のあら探しをしては陰口や悪口ばかり言っている人間は、健全に努力をして自分の劣等感を克服することから逃げているだけなのです。
こうした人間に、どれだけ嫌なことを言われてもされても、むしろ「下らないな…」と流すか、「そうか!自分の欠点はこれか!」と自分の糧にしてしまうことをおすすめします。
人からあら探しされたり、嫌なことを言われても、嫌なことをされても、反応してしまうとあなたも同じように健全に努力できなくなってしまいます。
それどころか、自分の人生というあなたが生きていられる貴重な時間を使って人助けをしているだけになってしまうのです。
こうした人達は、あなたを嫌な気持ちにさせて、陥れようとしているだけなのです。反応してしまうと、相手の思うツボです。
嫌な人のことなんて考えず、自分のことに集中していくことが、最高の復讐になります。
あなたが辛いのなら、嫌いな人と分かり合おうとしなくていいのです。
あなたが努力しても、相手にあなたと分かり合おうとする気が無いのなら、振り回されるだけです。
自分のことに集中して、自分の人生という一度しかない時間を大切に生きましょう。