アドラー心理学サロンです。
メールにてご相談頂いた内容を、お悩み事例として質問と回答のセットでご紹介致します。
いつも悪口を言われているような、嫌われているような気がして発狂しそう…
個人情報に関しましては、一部にぼかしを入れて細心の注意を払っています。
今回のご相談は、いつも誰かに嫌がられたり、悪口を言われているように感じてしまい、人を信用することができなくなって辛いとのお悩みです。
アドラー心理学の観点から、付き合うべき人間を選び、人の目を気にせずに自分の人生の目的を追求する方法をご提案させて頂きました。
あなたの悩みの解決にも、本記事が少しでも役立てましたら幸甚です。
Q1. ご相談
いつもTwitterを拝見させて頂いています。
私は関西の大学生です。
私は、高校3年生までサッカーをしてきました。たいして上手くもないのですが、ずっと試合に使ってもらっていました。
小学生の頃はのびのびとサッカーをしていました。ミスしても何度もチャレンジ出来ていました。
しかし、中学生になると、ミスをすればチームメイトから責め立てられ、試合以外でもプレーも含めた愚痴をチームの大部分から言われていました。仲良かった友達もいつしか愚痴を言うところに行ってしまいました。
チーム内のみで収まればいいのですが、それが部活外他の友達にも伝わっており、仲のいい友達にも伝わっていました。そこから私は人の目を過度に意識して生活するようになりました。
ほんとに過度です。キョロキョロしてしまうし、対人の目をじっと見たりしてしまうようになりました。
高校生になったら、さらにエスカレートして、
何も言われないように行動しました。
大学生になっても変わりません。
今では人と目があうと、あの人たち自分の悪口を言っていると思ってしまいます。
昨日、英語でのディスカッションテストがありました。僕は万全な状態で挑みました。
テストはものすごく出来ました。ただ相手は全然話せていませんでした。
それをその子はテスト後、僕の仲いい友達の全員にあいつのせいで出来なかったと悪口を振りまいていました。
もうメンタルが持ちません。
人を信じられません。
でも、強くなりたいです。
今後自分はどうこのような状況に出会った時に思えば、考えればいいのか教えてください。
僕に向けた言葉をください。
A1. 回答
人の目が気になってしまい、人を信じることができなくなってしまい、自分に向けた言葉が欲しいとのこと、結論から申し上げますと「付き合う人を選びましょう」です。
恐らくあなたはこれまで、意識しているかどうかに関わらず、人と良い関係であることを重視し過ぎてきたのではないかと思われます。
過度に他人と良い関係を保とうとする結果として、人の目を気にし過ぎるようになったのではないかと思われます。
人間はたしかに本来は悪い生き物ではありませんが、自分に理由無く悪意を持つ人間は必ず存在します。
誰にでも良い顔をする人が嫌いな人もいれば、誰かのあら探しをして他人を非難することを生きがいにしているような人間もいるのです。
全ての人達と良い関係を築くことも、仲良くなることもできないという割り切りをして、本当にあなたが好きな人はどんな人で、どんな人と自分は関わりを持つべきなのかをよく考えてみる必要があるのかもしれません。
アドラー心理学では、他人からよく思われたいと過度に思い過ぎると、承認欲求を満たすこと自体が目的になってしまい、自分の人生を生きることができなくなってしまうと警鐘を鳴らしております。
承認欲求を無くすことはできませんが、認めてもらいたい人は限られているはずです。
あなたに敵意を持つ人間に好かれても、嫌われても、そんなことはどうだっていい話なのです。
付き合う人を選ぶといっても、「何がこの人、ムカつく」という安易な理由で切り捨てるのではなく、「こういう人は警戒したほうがいい」と感じたのなら関係を深めることに臆病になるくらいが丁度いいのです。
強くなりたいと考えるのではなく、生きやすくこの世界を捉え直してみましょう。
アドラー心理学では、世の中には客観的な事実は存在しないとしており、世の中にある全ての事物は自分が与えた主観的な意味づけというフィルターを通してのみ解釈されるとしています。
心理学者アドラーは、下記のような言葉を残しました。
「何が与えられたかではない、与えられたものを自分がどう扱うのか次第なのだ」
「遺伝や育った環境は単なる"材料"でしかない。その材料を使って住みにくい家を建てるか、住みやすい家を建てるかは、あなた自身が決めればいい」
自分を成長させる努力はとても素晴らしいことですし、大切なことではありますが、それよりも即効性が高く、効果があるのは自分が自分の世界を再定義して住みやすくすることです。
「この人とはこれ以上仲良くなりたくない」と思うのなら、それ以上は関わらないようにしましょう。
余計な人間関係は時に毒になることもありえるのです。
アドラー心理学の課題の分離を応用すると、自分を他人がどう思うのかは相手の課題であって、根本的に自分では他人を変えることはできないと考えることができます。
自分の長所を伝えたりと、相手からの自分の認識を変えてもらえるように努力することは可能ですが、変えるか変えないかは本人次第なのです。
変えられない他人のことに悩んだり、どうでもいい人からの承認欲求を満たすより「自分がどうしたいのか?」に集中して自分の人生の目的を見つけようと夢中になれる時間を持つことが、短期的にも長期的にも有効な解決策のように思えます。
他人の評価に左右されてはいけません。ありのままの自分を受けとめ、不完全さを認める勇気を持って自分のことに集中するように先ずは動き出すことで活路が見えると思います。