コロナパンデミックは人間の醜さがお互いに露呈される結果になってしまいましたね。
コロナウィルスはたしかに中国の武漢から感染が始まって世界に広がって行きました。
しかし、それは中国の人のせいでも武漢の人のせいでもありません。武漢に住んでいた他の国籍の人のせいでももちろんない。
新型コロナウィルスの発生源には諸説ありますし、もちろん中国で発生した説は有力であり、否定をする気はありません。
しかしながら、新型コロナウィルスが発生したのが中国であるエビデンスも無ければ、中国人や中国という環境から発生したという根拠も無い。
別にコロナパンデミックの引き金が中国や中国人のせいではないと言っている訳ではありませんし、中国という国家や中国人を責めるべきではないという話をするつもりはありません。
ポイントは、コロナ禍という不幸を誰かのせいにして憂さを晴らそうとする人間の本性が、表に出てきたのがコロナパンデミックであるということを本記事では解説しています。
アメリカやヨーロッパで始まったアジア人へのヘイト活動も同様ですし、コロナ感染者への嫌がらせやいじめも同様です。
人は不安や恐怖、自分の中に溜まった不満の原因を他人のせいにして自らを正当化し、他人を責めて憂さを晴らそうとするか、保証を求めてしまう弱い生き物であるということです。
本心では、みんな中国や中国人がわざとコロナを蔓延させて、人々の生活を脅かすとは考えていないはずです。
もし、本当にそう思っているとすれば、言い方は悪いですが知的能力が低すぎると言わざるをえません。
たしかにコロナを蔓延させてしまった中国の対応・対策の甘さは非難されても当然ですし、相応の責任を取って各国に謝罪や償いをするべきだとは思います。
ただ、この話になると脱線してしまいますので、この辺にしておきます。
自分の人生で不幸な事が起きた時に、環境や他人のせいにしていても仕方ありません。
新型コロナウィルスはもう存在していて、今後は根絶もできないので共存していくしかないのです。
それに、新型コロナウィルスの発生源は人ではなく、自然環境の変化によるものであるとも言えますので、自然の摂理でもあります。
遅かれ早かれ、新型コロナウィルスやそれに似たようなウィルスは発生していたはずだと考えるのが、今の状況を見れば一目瞭然でしょう。
例えば、新型コロナウィルスが中国国内の衛星環境でそこに暮らす中国人の体内から発生したとは言い切れません。
他国に行った中国の人が現地で感染して、発達させて武漢で発見されただけの可能性もありますし、原因は様々なものが考えられます。
どこかで何らかの伝染病が発生する条件は、とうにできていたのです。
日本国内で、日本人からウィルスが発生する可能性だって十分にあります。
責めていても仕方ないのです。
コロナパンデミックに関わらず、自分の不幸を嘆いて誰かのせいにしていても仕方ない。
もちろん、被害を被ったのなら責任のある人に補償を求めたりすることは間違っていません。
でも、ずっと他人や環境などといった自分以外の外部要因のせいにしていたら、ずっと自分はその不幸の中で生きることになります。
自分でできることをして、不幸に立ち向かうことが世の為人の為であり、自分の幸せの為でもあるのです。
コロナパンデミックを機に、「罪を憎んで人を憎まず」の考え方が浸透して欲しいと切に願います。
結論が曖昧な文章になってしまいましたが、新型コロナウィルスのパンデミックを乗り越える為の一つの考え方として、皆様にお届けしたいと思ったからこそ書き起こしました。
アドラー心理学でも、自分の不遇を他人のせいにして憂さ晴らしをすることを不健全な努力であるとし、「不健全な優越性の追求」であるとして間違った努力であるとしています。
人が本当に求めているのは新型コロナウィルスを蔓延させた中国からの補償でも、コロナ感染者を村八分することでもないはずです。
本当に自分の求める幸せを手にするには、健全に自分を高める努力、つまり自分でできることを頑張って前に進むことです。
他人を恨んだり、攻撃しても何もならない。何かのせいにしても始まらないのです。