誰かに嫌われて、まるで自分には存在価値が無いかのように捉えては自分を責めてしまう人は本当に多いです。
誰に好かれようと嫌われようと、そんなことで一喜一憂する必要はありませんよ。
他人に好かれているのか、嫌われているのかによって存在価値が変わることはありえませんので、他人の思惑や言動に合わせて自分の価値をいちいち疑う必要なんてありません。
日本社会は村社会気質が色濃く残っており、みんなからどう思われるのか?によって自分のあり方を決めている人が本当に多いです。
みんなから嫌われたり、変な人だと思われると途端に村八分にされて居場所が無くなってしまい、挙げ句の果てにはしょうもないいじめのターゲットにされて関係のない人格攻撃まで浴びせられることも珍しくありません。
そんな日本社会で生きている人にとっては、たしかに「人の目」は気になるものですし、他人からの評価によって自分の価値を決めてしまいやすくなるのも無理はありません。
しかし、本質的に嫌われたからって自分には価値が無いということにはなりません。
なぜなら、他人が自分をどう思うのかは、自分で決める自分の課題ではなく他人が決める他人の課題だからです。
アドラー心理学の課題の分離の考え方ですね。
自分の価値は、自分で決める自分の課題であって他人が決める他人の課題ではないのです。
自分からは他人の課題には介入せず、他人にも自分の課題へは介入させないようにしましょう。
たとえ多くの人に嫌われたとして、それはこの世界の一部の人たちに嫌われているだけのことですので、人数の問題ではありません。
たしかに日本で生きる以上は、最低限は周囲に求められた振る舞いをする必要もあるとは思いますが、自己肯定感とは切り離して考えましょう。