能動的に文字を読んで情報を得るという活動はそれなりの教養やリテラシーが求められる活動です。
音声や映像などのような受動的な活動では、理解しているようでいて、ただ断片的に言葉を拾ったり、感覚的に声色や話している人の雰囲気などから感じ取っているだけのことも多いのです。
それに対して文章を読むことは、起承転結までにしっかりとした話の流れがあり、論理的に繋がっていないと理解することができないのです。
つまり、文章を読むという活動が「理解」に繋がるのに対して、音声を聴いたり映像を視聴することは「感じる」ことなのです。
何が言いたいのかというと、文章を読んで書いてあることを理解できるだけの教養や思考力を身に付けることが、自分を変えていくのに非常に重要であるということです。
アドラー心理学サロンをフォローして下さる皆様は、悩みを解決したいとか、今よりもより良く生きたいという自己啓発的な目的をお持ちの人が多数派ですし、この点はしっかりとお伝えしたいところなのですが文章を読むようにしてもらいたいのです。
YoutubeやTwitterスペース、SNSでの短文のツイートから得られる情報は、複雑性がありませんし論理的な繋がりもあまり意識しなくても理解に容易いことでしょう。
それなりの長さの文章を読むことによってこそ、本質的な理解をすることができるようになりますし、あなた自身の思考力を高めたり、知識量を増やすことにもつながります。
当たり前な話ではありますが、悩みを解決することにも、今よりもより良く生きる為にも「自分を変える」必要があります。
そして、自分を変える為には現状の自分や置かれている状況をしっかりと理解して、これから何をしていくべきなのかを自分の頭で考える必要があります。
なぜなら、悩みを解決するにしても、今よりも前に進むにしても、最適な方法は自分で考え出して自分なりに試行錯誤していくしかないからです。
その為には必要な知識を自分から手に入れて、その上で自分で考える必要があるのです。
つまり、自分を変える為には相応の知識と思考力、行動力が必要になってきます。
私は多くの記事を用意させて頂いてますが、やはり記事を読まれている人はかなり成長が速いです。
元々の意欲が高いという理由もありますが、やはり文章を読もうと思えるだけの知力があるというのが非常に大きいですね。
対面でカウンセリングを行なっていた時も、やはりすぐに回復される人は筋道立てて論理的に話を理解したり、自分の考えを伝える能力に長けている人達ばかりです。
ここでお伝えしたいのですが、繰り返し繰り返しお伝えしていることを改めてこの場でお伝えします。
皆さん、ちゃんとアドサロのブログを読んでください。
ちゃんと文章を読んで書いてあることを理解できないのであれば、残念ですがアドラー心理学で自分を変えることには向いていないか、もう少し読書をしたりとお勉強が必要になります。
知識や思考力が大切だというよりは、論理的に感情や思い込みを排した上で筋道を立てて物事を理解したり、話を組み立てる能力はかなり重要になってきますということを強調したいのです。
余談ですが、Twitterスペースで本当に多くの人達とお話ししてきましたが、スペースでご相談に来られた人達のほとんどが極端に理解力の低い人達でした。
もちろん、私の伝え方が完ぺきであったとは思いませんが、合理的な話をしていても感覚的にその意味を捻じ曲げて自己流で判断していたり、思い込みが激しくて自分の思いたいように改変してしまったり、そもそも理解が追いつかない人の方が話が通じない人の中には多かったです。
無料で気軽に相談できる場だからって、あまり考えずに参加された人も多かったのでしょうけれども、ひたすらに愚痴を聞いてもらいたいとか、褒めてもらいたいと思っている人達があまりにも多くて辟易してしまいました。
何となく悩んでる状態では、誰に相談してもボンヤリとした回答しか返ってきませんので、自分が何にどう悩んでいて、何をどうしたいのかを頭の中で整理して言語化できるようになることは大切です。
こちらの余談の話を読んで、私が愚痴を吐いているように感じる人はちょっと直感的に物事を判断する傾向がありそうなので、冷静にこの余談の中で私が伝えようとしていることが何なのかを考えてみましょう。
それほど長くはない文章ですので、落ち着いて読み返せば分かるはずです。