アドラー心理学サロンです。
この記事のテーマは、世界すなわち、世の中に対する見方について解説していきます。
世の中に対して、ネガティブな見方をして、世の中を危険視されている方は一時的にそう疑心暗鬼になっている方を含めると相当数いらっしゃることでしょう。
特に、アドラー心理学サロンで受けるご相談でも、下記のようなお話を頻繁に受けます。
「世の中、悪い奴ばかりで信用ならない」、「いつも自分だけが損をしている」、「みんな私のことなんて嫌っているに違いない」、「みんな自分の人生を妨害してくる」
こうした世の中に対する捉え方は、アドラー心理学では世界の全ては主観的な解釈によって作り上げられるとする考え方がありますので決して間違ってはおりません。
しかしながら、こうした物事の捉え方では生きて行くのがともて息苦しく、つらいものとなってしまうことでしょう。
世の中、根っからの悪人はいませんし、本質的に悪い人はあまりいないとは思いますが、一定数の悪人は存在し、不快な思いをすることもあるでしょう。
しかし、どんな場合であっても、あなたを攻撃するその人が悪い訳であり、決して世の中の全員が悪い訳ではありません。
上記のように、世の中の人間みんなを否定するような発言をしている場合には、注意しましょう。
アドラー心理学では、このように世の中の人々を捉えている生き方を「人生の調和」を欠いた生き方であるとしています。
人生の調和を欠いた人は、自分に対して否定的な一部の人間を見て、それだけでこの世の中の捉え方を判断してしまっています。
アドラー心理学では、「吃音」に悩まれている人々は、「自分の話し方」にのみ異常に関心を寄せて、劣等感や息苦しさを感じていると考えております。
そうして、自意識過剰となり、余計に言葉を詰まらせるようになってしまうとしています。
実際のところ、吃音や障害も持っていたとしても、そうした人達を嘲笑ったり、子馬鹿にしたり、軽蔑するような人間は一部の人間なのです。
対人関係がうまくいかないのは、吃音のせいでも、障害のせいでもありません。
本当は、自己受容や他者信頼、または他者貢献ができていないことが原因であり、それにも関わらず気にかける必要の無いごく一部のみに焦点を当てて、そこから世の中全体を評価しようとしているのです。
「人生の調和」を欠く、これは日々忙しく仕事をしていて、家庭を顧みないお父さんにも当てはまります。
これは「人生の嘘」でもあり、仕事を理由に他の責任を回避しようとしているに過ぎません。
本来ならば、家庭も交友も趣味なども、全てに関心を寄せるべきであり、そのどれかを異常に追求しようとする生き方はアドラー心理学では認めておりません。
この生き方は、人生のタスクから目を背けた生き方なのです。
「仕事」、「交友」、「愛」という人が人生において直面し、向かい合わなければならない対人関係である人生のタスクの内、「仕事」とは会社で労働することのみを指すのではなく、家事や子育て、趣味を含めた包括的なものなのです。
会社での仕事はその内のほんの一部なのにも関わらず、そこに焦点を当てて他のことを疎かにするのは、「人生の調和」を欠いています。
こうして仕事に我を忘れて、過度に没頭する人達は、まさに「行為のレベル」でしか自分の価値を認められない状態であることがとても多いのです。
自分は長時間、自己犠牲を厭わずに働いて社会貢献をして家族を養っている、だからこそ自分は家族の中で一番偉くて社会的に価値があるのだと感じられていることでしょう。
しかし、人間誰しも年をとっていき、仕事を定年で退職、または突然の病や事故で働けなくなり、年金などの社会保険の援助で生きることになります。
この時に自分を「行為のレベル」でしか価値を見出せない人達は深刻な精神的打撃を受けることになります。
つまり、かくあるべし論から理想の自分像を作り出し、そこから引き算して自分を見るのではなく、何もない0からの自分に価値を足していく「存在のレベル」の考え方をした方が良いのです。
人は、生誕の時に親など世の中の誰から祝福され、その後の成長段階でも世の中に対して存在していることで貢献しているものなのです。