アドラー心理学サロンです。
人はなぜこの世を去ることを恐れるのか。
時代や洋の東西を問わず、人は「世を去る」を恐れます。
生きているうちに1度くらいは「この世を去ること」について考えて心を掻き乱された経験があるのではないでしょうか?
本記事では、この「この世を去る」への考え方をご紹介いたします。
年老いて行くことや、病気になり心が弱くなるのは往々にしてその先に「この世を去ること」が見え隠れするからです。
人は、正体のわからないもの、理解ができないつかみどころのないものを恐れます。
命あるものには、いずれ必ず別れが訪れます。
亡くなった時には生はなく、生きているうちには亡くなる概念はありません。
私たちはこの世を去ることを経験することはありえず、私たちが生きているうちに認識し、思考する「亡くなること」は単なる観念となります。
私たちは生きているうちに、様々な「逝去」に遭遇します。
それはニュースなどでの有名人の逝去や、友人・知人、親族であったりと様々です。
つまりは、生きている限り、その生には亡くなった後の世界が見え隠れすることがある為に私たちはこの実態の掴めない無い「この世を去ること」への向かい合い方を考えなくてはなりません。
「今」を生きる
「今」を生きる考え方は、他の記事でも繰り返しご紹介してきたように、アドラー心理学の代表的な考え方であり、人生の生き方となります。
「今」が人生であり、人生を登山に例えて、山頂に行くまでの道のりも含め全てが人生なのだとしています。
つまり、自分の目標地点へ到着することだけが人生ではないということです。
アドラー心理学では、人生は「点」という「今」を生きることを表し、何が起こるのか予測できない未来を見越して「線」で生きることはできないと考えます。
ギリシアの哲学者プラトンは、「この世を去ることを恐れるということは、知らないことを知っていると思うことだ」という言葉を残してます。
どんなに考えても、探求しても、答えが出ないようなことならば、どうにも分からない亡くなった後の世界をそのまま分からないものとして受け入れてしまいましょう。
この考え方は、アドラーの提唱する「今」を着実に生きる為には大切な考え方となります。
生き方も千差万別ならば、旅立ち方も千差万別です。
ひたすらに、「今」自分ができることで、世の中への貢献になることに没頭することで「亡くなった後の世界」に対する恐怖から逃れることができるのではないでしょうか。
どういった旅立ちをするのかは、今をどう生きるのかで決まります。
この世を去った後の他者貢献の足跡や影響は永遠に残ります。
今を真剣に、世の中への貢献を心掛けて生きることができれば、あなたは生きる人々の心の中で生き続けることはできます。