アドラー心理学サロンです。
あなたは相手の行動や素ぶりから、こんな憶測をしては落ち込んだりした経験はありませんか?
「あの人、最近素っ気ないけど私何か悪いことしたかな?…」
「あの人、私のこと嫌ってるのかな?…」
「何だかあの人、私には当たりが強いな…」
こんな風に考えてしまったこともあると思います。先ず初めにお伝えしますと、言葉でないと人と人はコミュニケーションなんてそもそも取れません。
自分の近しい関係である、たとえば家族や恋人、親友ならば言葉にしなくても感覚的にお互いに理解していることも多いものですので、言わなくても分かる関係が確立されています。
しかし、近しい関係にある家族であっても、忖度だけでコミュニケーションが正確に取れない場面もご経験があると思います。
職場などで出会う人たちとの人間関係の多くは、このコミュニケーションミスとも言える意思疎通が足りない、または双方の意図の誤解などが原因となります。
アドラーは、大人であるならば感情的にならずに理論的に意思疎通を図るべきだと言いました。
このアドラーの言葉はまさにその通りで、感情的に相手に自分の意図を伝えようとしてしまっている時点で、それは言葉の話せない赤ちゃんが泣いてお母さんに母乳を求めることと同じことなのです。
幼児や子供は、言葉にして自分の気持ちを表現できない時に泣いたり、暴力的になったりします。
大人なのであれば、言葉を用いて理論的に話し合うことでコミュニケーションを図るべきなのです。
勝手に忖度しては、自分を嫌っているなどと思い込んで理論的に話し合うことを放棄してしまうことは、自分から人間関係を切り捨ててしまうことや、ネガティヴな気持ちになっていることと同じとの言えます。
つまり、勝手に忖度して、勝手に落ち込んでしまうのは非常にもったいないことなのです。
理論的に話し合ってみることが怖くてどうにもならないのなら、その人に対する態度を大きく変え過ぎずにそれならそれで仕方ないと割り切ることが大切です。
アドラーは他人が自分を嫌うのかどうかは他人の課題であり、自分にはどうにもならないので割り切ろうという課題の分離という考え方を提唱しました。
その人があなたをどう思うのかは相手の課題であり、あなたの課題では無いのです。
こうして割り切って、態度を大きく変えないようにしておけばひょんなことから以前と同じやり取りに戻れるかもしれません。
相手が自分を嫌っているかもしれないなどと考えて疑心暗鬼になっていては、あなたのその人への態度も変わっていき、本当は違かったにも関わらず嫌われてしまうかもしれません。
もし本当に相手があなたのことを嫌っていたとしても、あなたができる範囲で気を遣っているのなら、何も後ろめたくなんてありません。
それこそ理論的な話し合いでしか解決のできない問題であり、なおさら疑心暗鬼になって落ち込んだりネガティヴ思考になっていても仕方のないことなのです。
この記事で、あなたの気持ちを少しでも落ち着かせることができ、疑心暗鬼になってしまった時の対処策を考えることができるようになって頂けましたら望外の喜びです。