アドラー心理学サロンです。
あなたはお金があってそれなりに豊かでないと幸せになれないなんて思っていませんか?
それ、実は半分合っていて、半分間違っていますよ。
お金がたくさんあるか無いかなんて、本来幸せには何の関係もなくて、アドラーの言う通りこれって単なる主観的な解釈なのです。
それでは、具体的に下記にて説明させて頂きます。
休日の過ごし方で人生は決まる⁉︎
多くの日本人は、休みの日は辛い仕事に耐えている自分へのご褒美だと考えています。
つまり、仕事がある日がオンであり、休みの日はオフなのです。例えば、自分のやりたいことを仕事にしているならこれでも良いのですが、ほとんどの世の中の会社員は嫌だけれども生活な為に、遊ぶ為に働いているというのが実態ですよね?
そもそも、これがおかしいのです。
仕事が休みの日は仕事で稼いだお金を使って、オンの時に溜まった鬱憤を晴らすのって何か違和感を感じませんか?
自分の人生の大半を占める仕事でのストレスを晴らすことが人生の目的になっているようにしか思えません。
休みの日に憂さ晴らしなんてしても、本質的に人間の心は自分のやりたいことをして楽しまないと、満たされることはありません。
つまり、仕事がストレスでは無くなれば、休みの日に憂さ晴らしをする必要が無くなるのです。
つまり、休みの日は人生を楽しむ為に使うという考え方になれます。
つまり、自分の楽しめる仕事を安い給料でも良いのでやってしまえば憂さ晴らしに休みの日にお金を使うことも無くなるのです。
給料を下げるって、それだと生活レベルが下がるだけで日常での楽しみが無くなるだけじゃないか!なんて声が上がってきそうですが、私は別に「お金が全てじゃない」なんてよく聞く金言を述べたいのではありません。
ようは、働く目的や人生を通しての目的を、アドラーの目的論の考え方をベースに捉え直してしまいましょうと伝えたいだけです。
アドラーは、客観的なモノなんてこの世には存在せず、全ては主観的な解釈によって生み出された産物に過ぎないというスタンスを取っております。
幸せは主観的なもの
幸せなんて、主観でしかないのです。
この幸せには、お金が多いか少ないかなんて関係ありません。本当に豊かさが幸せに関係するというなら、世界でも国の豊かさがそのまま幸福度の順位に現れないと説明がつきませんし、先進国でもないアジアの貧国であるブータンが国民の幸福度が世界一になったことだってあるのです。
同じ国の中でも、例えば日本の江戸時代の人から見たら現代なんてまるで夢のような世界です。
上流階級しか食べられなかったものもあれば、手作業で面倒だと思っていた掃除や洗濯、移動などもかなり効率化されており、江戸時代の人が現代に来たら、まるで現代人がテーマパークに行った時のような感覚を得るのではないでしょうか?
ただ、そんな風に現代人は感じませんよね(笑)
幸せは相対的なものとして多くの人達が認識してしまいますが、アドラーの観点を持ち込めばこれを主観的なものに変えて幸せを獲得することができます。
アドラー云々というよりは「足るを知る」といったところでしょうか。
何を持って、どの程度の豊かさがあれば自分は幸せになれるのか?つまり、自分を嫌いにならないで生きていくにはどの程度のお金が必要なのか?というポイントを押さえておけば幸せになれる可能性が上がりますし、無意味にお金を追い求める人生からも解放されます。