アドラー心理学サロンです。
心理学者であるアドラーは人の目を気にしたり、他人の顔色を窺って、誰かに認めてもらおうとしたり、褒めてもらおうとする承認欲求を否定しました。
人は完全には承認欲求を無くすことはできませんが、強すぎる承認欲求は自分らしさを失わせる原因となり、自分の人生よりも他人から良く思われるであろう他人の人生を生きる方向へ人を向かわせてしまうとアドラーは危惧しました。
他人の人生を生きたその先には、満足感は無く満たされない思いを抱えこんでしまうことになるとしているからです。
過去の失敗や劣等感によって自信を失っており、自分を低く見積もっている状態では特にこの承認欲求は強くなってしまいます。
自分で自分を認めてあげることができず、自分の頭で考えて、自分の耳で聞き、自分の口で話すことができなくなっているからです。
つまり、自分で自分の存在価値を決めることができず、他人に自分を認めてもらい、自分の存在価値を確認して安心しようとしてしまっているのです。
心の欠乏感を、他人に埋めてもらおうとしてしまっている状態では、思考も行動も他人依存的になってしまいます。
親や上司の期待に応じようとばかり考えてしまう状態であるとも考えられ、たとえ仕事で良い結果を出したりしても、スタートの地点で自分で自分を認められてないので充足感はありません。
褒められることで一時的に充足感を得られるものの、すぐに欠乏感に襲われます。
そうなると、「次は何をすればいいのかな?」、「誰に認めてもらえばいいのかな?」とまた他人に指示してもらおうとしてはそんな自分に無力感と絶望感を覚えてしまい、さらに自分の価値を低くしてしまいます。
これはまさに負のループであり、延々と繰り返してしまう可能性が非常に高いのです。
自分の行動の動機が「やりたい」ではなく、「認めて欲しい」になったままではいつまでも強制されている感覚から逃れることができません。
アドラーが承認欲求を過度に持つことを非難した理由がお分かりでしょうか?
それだけではなく、他人の意見自体がそもそもいい加減なものであり、他人からどう思われるのかばかり気にしていたら他人の思いつきによって、他人にとって都合が良いか、単なる無難な道に進むことになってしまうのです。
日本人の多くは他人の目を気にするというよりは、気にせざる得ない状況にあるとも言えます。
みんなと強調するべきとした集団の和を保とうとする傾向があり、異端者は同調圧力をかけるか排除するかという気質があります。
そんな中だからこそ「特に自分の考えなのか?」、「みんなの考えなのか?」をしっかりと区別しておく必要があります。
アドラーの考え方は西洋的であり、日本社会には馴染まないとする声が上がりますが、この区別さえしっかりしていれば問題ありません。
特に自分に自信が無くなってしまった時には、「本当に自分は駄目な人なのかな?」と冷静に自分に問いかけてみましょう。
自分と向き合うことと「自信は高い時もあれば、低い時もある」のだから仕方ないと割り切って、自信が無くなった時には無理に頑張ろうとしたり、次の行動を考えるよりも、目の前のことに集中しておくと心を平静に保つことができます。
他人からどう思われるのかを気にするよりも、平静な心で「自分が本来やりたいことは何なのか?」をしっかりと考えましょう。
そうすれば、人の目を気にして承認欲求に振り回されることは無くなります。