アドラー心理学サロンです。
この記事では、本当の自由について書いていきます。
一般に、人から嫌われてしまうことは負のイメージしかなく、悪いことはあっても何一つ良いことはないと考えられがちです。
しかし、アドラー心理学は別名「勇気の心理学」とも「個人の心理学」とも呼ばれ、嫌われることについて斬新な視点を持っています。
誰しもがもっと自由に振る舞えたら良いのだけど人の目や嫌わられてしまうことが怖くて一歩踏み出せないと考えられたことがあるのではないでしょうか。
全体主義的な日本社会において、やはりみんなに合わせることによる集団の和を少しでも乱す可能性がある行動はどうしても孤立を怖れて取ることを憚る方も多いことでしょう。
本記事では、そういった方でも自由へ向けて一歩踏み出せるようアドラー心理学の考え方、捉え方をできるだけ身近に感じられるように工夫しました。
それでは、嫌われることがなぜ自由への第一歩となるのか、ご説明します。
アドラー心理学では、「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考えます。
私たちは、対人関係からの解放を願い、対人関係からの自由を求めます。
そこで、アドラー心理学では、自由とは人から嫌われることによって得られるとしております。
人は皆、他者から嫌われることは望んでおりませんし、わざわざ嫌われるようなことはしないように振る舞います。
とはいえ、私たちの努力とは一切関係なく、私のことを嫌う人もいれば、あなたのことを嫌う人もいます。
趣味嗜好、性格もそれぞれ異なる他者に対して好きになってもらえるようにもしくは、嫌われないように振舞っても全ての人達からの自分に対しての好き嫌いを制御することはできません。
本当の自分を封じ込めて、他者から嫌われないよう相手の期待に添うように自分を取り繕うことはとても不自由な生き方であり、万人に嫌われないようにして承認欲求を満たすことは不可能なのです。
つまり、あなたが誰かに嫌われているということは、あなたが自由であり、自らの方針に従って人生を生きている証なのです。
自由になるにはコストを払う必要があります、そして対人関係における自由のコストこそが他者から嫌われることなのです。
多くの方は、自由というのは学校や会社などの組織から飛び出して行くことであり、「組織からの解放」=「自由」と認識されていることでしょう。
組織から飛び出したところで、他者の期待に添う生き方をしている限りは対人関係から自由になることは永遠にありません。
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れずに、承認されないかもしれないというコストを払わなければ自分の生き方を貫くことはできません。
つまり、嫌われるというより、嫌われることを怖れていると自由になれない、その生き方の中には嫌われることが必然的に発生するということとなります。
関係が壊れることを怖れながら生きる人生はとても窮屈で、不自由なものとなります。
人から嫌われることを怖れないようになる為に重要になるのが「課題の分離」となります。
他人があなたをどう思うのか、好きになるのか嫌いになるのかは他人の課題であり、あなたの課題ではないのです。
「これだけのことをしてあげたのだから自分のことを好きになるべきだ」、「こんなに友好的に接しているのだから自分を嫌いになるのはおかしい」といった考えは他人の課題に介入してしており、相手の考え方や生き方を変えようとしてしまってます。
アドラー心理学で提唱している、承認欲求を放棄して他者と自分の課題を分離する生き方と考え方は、自己中心的と捉えられることがあります。
しかし、「課題の分離」ができておらず、承認欲求に捕らわれている人もまた、他者の考え方を上記のように変えようとする自己中心的な人であるとも捉えられるのです。
こうした方は、他人を思いやる気遣いに長けており、他人に譲る精神を持った協調性の高い人物のように思われますが、実際には自分のことしか考えておりません。
他者に自分を合わせて、責任から逃れ、自分さえ良ければいいと考えている人とも言えるのです。
つまり、「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそが、「わたし」にしか興味のない自己中心的なライフスタイル = (性格) なのです。
もちろん、自分の生き方を妥協する自己犠牲にならない程度に失礼のないよう接することは大切です。