アドラー心理学サロンです。
今回は、人はなぜ人を誤解するのかについて書いていきます。
アドラー心理学から少し離れますが、認識して頂ければ何かお役に立てるかもしれません。
度々、「人に理解は求めるべきではない」、「自分のことだけを考えるべき」といった主張をアドラー心理学サロンではしてきました。
こうした、他人との完全な理解が如何に困難なのかについてを題材にあげます。
いくら他者から理解してもらう必要はないとはいえ、生き方や考え方であれば別ですが、仕事でのやり取りなど特定の状況下においては、何とか意思疎通を取る必要があります。
先ず、思考は言語によって作られ、他人との意思疎通のやり取りの大部分もまた、言語的なコミュニケーションが基本となり、会話やメールなどの文書が主軸となります。
つまりは、言語による意思疎通の問題を解決できれば、他者とスムーズにやり取りできるようにすることができます。
単純な語彙の知識不足によって誤解が引き起こされることもあれば、せっかちな人であれば話している途中で相手の話を解釈しようとして誤解することもあるでしょう。
先ず、一つ一つの言葉の意味やその強弱は人により異なります。
家庭や学校などで学んだ言葉であっても、その人がその言葉を言われてどう捉えるのか、どう感じるのかは、その人の個人的な経験と強く関係しています。
例えば、「バカ」という言葉でも、学校でいじめられた経験がある人は罵られることが多かった経験から、普通の人よりも過敏に反応してしまう可能性があります。
その「バカ」というキーワードから、いじめられていた際の状況を連想してしまい、別のキーワードが思い浮かんでそう言われたと解釈してしまうこともありえるのです。
たとえば、「バカ」と言われると同時に、「デブ」であったり歩き方が変だといじめられていたりした場合には、「バカ」と言われるだけで、「デブ」と言われていると思ったり、歩き方をからかわれているのではないか?と連想してしまうこともありえるのです。
特に、こうした経験に紐付けて話を理解しようとする傾向は、年代が高くなるごとに強くなります。
年を取ると、自分はすでにそれと同じことを経験しているから全てを理解しているのだと、自分よりも若い人の話に耳を貸さなくなっていきます。
それに加えて、自分が正しいと思っていた考えがあり、それが間違っている可能性があると感じて耳を貸さなくなることもありえます。
長年保持していた考えが間違っているとなると、自分の存在や自分の人生を否定することにつながるような感覚に襲われてしまうのでしょう。
こうしたことを鑑みて、相手との意思疎通ができていないと感じた場合には、その会話の中に登場したキーワードのお互いの定義を再確認していくことが大切です。
人の話ではなく、話しているキーワードを拾って自分の捉えている意味に切り替えたり、今までの経験と照合して紐付けていることからも、誤解が生じることがあります。
本記事が、皆さんの日常生活における意思疎通の円滑化に少しでもお役に立てましたら望外の喜びです。
日本語による、意思疎通の弊害に関しましては、下記の記事をご参照下さい。
日本語って誤解の元?? (コラム記事)